堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

「越年闘争」

預り犬の「チビ助」が来て4ヶ月、手のひらに乗るくらいの小さな奴でしたが、保護されてから5ヶ月ともなると、体格だけは我が家の凡犬を越えてしまいました。

今では、マンションの昇り下りも抱えて二匹は結構大変です。

 

野良で保護されましたので、それはもう今の食事が約束されている生活は快適なようです。

最近は、仔犬の頃と違い部屋でゆっくり寛いでいる時間も多くなってきました。

夜は、家内が「ハウス」というと素直にバリケンに入りますので少しは進歩しているようです。

 

こ奴も凡犬の真似をして、「オシッコ」や「ウ〇チ」は外派です。

凡犬は一応クリーンドッグと言われる柴ですが、チビ助も先住犬の影響を多分に受けているようです。

 

最近、散歩でも少し進歩がありました。

他の犬とすれ違う時に、相手の犬が興奮しないよう凡犬とチビ助にお座りをさせて、やり過ごしていますが、どうにかお座りをしたまま他の犬をやり過ごせるようになりました。

 

後は、ゆっくり飼主の横に付いて歩ければ、いつ里親さんに貰って貰っても大丈夫です。

ただ、家の中での我がままは直せるかな?といった状態です。

これは、新しい里親さんにお願いしても良いかな?

今も、家内が焼き芋を食べていると、鳴いたり飛びかかったりと大変です。

 

問題行動が有れば直ぐに躾!いくら可愛い目で見詰められて「仕方がないな・・・」では、中々直せません。

噛みついたり、無駄吠えいった飼い続けるために問題となるような行動はありませんが、「甘やかす」といった事がなければ、もっと賢い犬になるのに・・・

 

仔犬は1ヶ月、長くて2ヶ月位で里親さんが決まるのが通例ですが、このチビ助に限っては「越年闘争」になってしまいました。

家内は、ずっと居てても良いと思っている節もありますが、それは「預りの掟」に背く事です!

それぞれの「三大好物」

義母の家に行く時、駅前で買った「黒糖蒸しパン」を買っていきます。

何時もではありませんが、義母に渡すと「ありがとう!」とご機嫌です。

義母はハッキリした人で、自分が好きでない物を私達が買って行った時には「お母さん、食べへんから持って帰って」と持って帰らせるのですが、「焼き芋」「駅前で買う黒糖蒸しパン」「やわらか焼」の三大好物を買って行った時は、一度も受け取り拒否されたことはありません。

 

「やわらか焼」というのは神戸の瓦せんべいの老舗である「亀井堂総本家」の商品、文字通り堅く無い「せんべい」です。

普通の(堅い)瓦せんべいをお茶に浸け、ふやかして食べるのが好きな義母は、ふやかす手間の要らない「やわらか焼」が好物のようです。

 

家内に「三大好物ってなに?」と聞くと「焼き鳥」「焼き芋」「パスコのファボールサンドのコーヒー味」と即座に返事が返って来ました。

「パスコのファボールサンドのコーヒー」は、柔らかめのフランスパンにコーヒー味のクリームを挟んでる菓子パンです。近所のスーパーで98円(特売の日なら88円)、ファボールサンドには他にも何種類かありますが、近所のスーパーではこのコーヒー味が一番人気のようで売り切れている事が多いです。

 

家内は、見つけた時は必ず買っているようですが、私もファボールサンド(コーヒー)を見付けると必ず買う癖が付いてしまいました。

買って帰ると家内は「ニコニコ」、義母と同じ反応に「血(血統)」を感じてしまいます。

 

凡犬と預り犬の三大好物は「砂肝ジャーキー」「焼き芋の皮」「硬いチーズスティック」ですが、特に好きなのが「砂肝」、家内が手作りで作って与えているのですが、焼いている時からソワソワとキッチン周辺をうろついています。

預り犬は、凡犬より好き嫌いがハッキリしています。

主食のフードは、残す事もありますので「有ったら食べる」というイヌにあるまじき態度をとっていますが、好きな物となると明らかに目が輝いています。

因みに、凡犬は食べ物は有るだけ全て食べるタイプです。

 

「じゃあ、あなたの大好物はなに?」と問われると?

「万年筆」「陶器」「時計」「ジーパン」・・・と答えると、「そんなん食べ物と違う!」怒っていました。

考えるに食べ物への執着は、女性の方が強いようです。

人類の退化

エジプトのピラミッド近くで爆弾テロが発生し、ツアー中のベトナム人3人とガイドが死亡し負傷者も12名というニュースが流れました。

テレビ画面には破壊されたバスの映像と共に、2011年の「アラブの春」以来、混乱が続いているエジプトの映像が紹介されていました。

 

ここで驚いたのは、国内の対立が武力闘争にエスカレートしている中で紹介されていた映像はエジプト人同士が武器では無く「石」を投げ合っている光景でした。

きっと手元に武器が無く身近にあった「石」を見付け投げているところだったようです。

 

私は思わず家内に「人間は全く進化してないな」と愚痴ってしまいました。(私も含めてです。)

現代の兵器は、ミサイルから高性能の銃や戦車・戦闘機と科学技術の発展と共に、ボタン一つで一瞬にして何百、何千、何万人もの殺傷能力をもっています。

 

そういう時代にあっても「石」の投げ合いが今でも続いているというのは面白くも有り悲しくもあります。

石器時代以前には、「石」が主要な武器だったような気がしますが、21世紀にもなっても人の行動は変わっていないようです。

 

よく「歴史に学べ」という言葉を耳にしますが、結局、悲惨な戦争の歴史を私たちは教訓とする事は出来ないのかと思うと悲しい気持ちになります。

地球上で同じ種がこれ程までに殺し合うのは人類位なものです。

 

これ程科学技術が発展しているのに不思議なものです。

人類は進化していないどころか「退化」しているのでは?

そんな事を感じさせる映像でした。

 

第三次世界大戦がどのように行われるかは私にはわからない。だが、第四次世界大戦が起こるとすれば、その時に人類が用いる武器は“石”と“こん棒”だろう」

20世紀最高の頭脳と言われたアイシュタインの言葉が思い出されます。

もっと混んでいた「大晦日」?

今年も後2日、ほとんどの会社が昨日までだったせいか今日は昼間から商店街や百貨店は人でごった返しています。

何年も前の事ですが、私も現役の頃に思わぬ経験をしました。

 

当時、私の勤めていた会社の年末の仕事は30日まででしたので、バタバタしていて正月の準備なんかとても手に付かず、ようやく大晦日の夕刻に車で近くの百貨店に繰り出しました。

正月用の食べ物やお菓子、お酒なんかを適当に買って後は帰るだけ、これで人並みの正月は暮らせるとのんびり構えていました。

 

しかし、ここからが悪夢でした。

百貨店の屋上にある駐車場まで行った所までは良かったのですが、出庫の車の大渋滞!

全く車が動きません。

百貨店を出るまで、かれこれ2時間位かかってしまいました。

 

家に帰ったらあれもして、これもしてと私達なりに計画を立て、楽しい正月を迎えるつもりが、大晦日というのに家に帰るだけで「グッタリ」といった状態で何もする気になりませんでした。(わやくちゃの大晦日でした)

 

そんな事を思うと、今は少しお店の混み具合も昔と違ってきているような気がします。

今では、百貨店も正月2日から営業していますしコンビニなんかは無休です。

三が日はほとんどのお店は閉まっていた頃が、かえって懐かしくなります。

そんな意味では、「おせち料理」の役割も少しづつ低くなっているようです。

 

何かにつけ便利になり過ぎた昨今ですが、あまり便利になり過ぎるのもどうかなと思ってしまいます。

便利になった分だけ、確実に私は怠け者になっているようです。

 

正月三が日は、基本的に全ての店が「休業」というのも有りかな?

全てのお店が休みでも、交通機関や運送・配達の方は休み辛いとは思いますが、せめて小売店だけでも「三が日は休業」といった昔に帰る事があっても良いかなと思ってしまいます。

 

晦日に百貨店の駐車場から抜け出せず悲嘆に暮れていた事が、今から思えば懐かしくて仕方がありません。

ほとんどのお店が三が日閉まっていたのも懐かしいです。

「再生医療」がペットの世界に

京都大学山中伸弥教授らが「iPS細胞」の研究でノーベル賞を受賞した事は記憶に新しいものですが、痛んだ臓器を他の細胞から作った臓器に入れ替えるといったSF世界の夢物語が今では世界の研究者の大きな課題となって実現しようとしています。

 

「癌化」や「定着性」「有効性」などの問題の解消に向け世界的に研究が進められ、一部では臨床研究や実際の治療に使われています。

古くなったり使えなくなった部分を新しいものに替えるというのは誠に理にかなった理想的な治療のように思われます。

 

しかし、日常の治療で「再生医療」を私が享受できるかというと、そんな簡単な事でも無いようです。

まず、医療費が何百万円とかなってしまったら無理です。

諦めるしかありません。

 

それともう一つ、私も高齢者の仲間ですが、一つの臓器を取り替えても身体全体、全ての臓器が古くなっていますので、一つだけ替えても仕方が無いのでは?

そんな気もします。

人間の寿命をどのように捉えるのか?

難しい問題です。

 

人生において私は「白秋期」、後10年もすれば「玄冬期」という時期を迎えます。

終活も頭をよぎる「玄冬期」の老人が、ここが悪い、あそこが古いと臓器を取り替えるのも変な感じがします。

勿論、家族の大黒柱となっている「朱夏期」の若者は、家族の為にも健康寿命を延ばしていくのは当然の事ですが、例えば私が90歳を越えても「再生医療」が必要かというと難しい問題です。

 

今でも「延命治療」「安楽死」といった微妙な問題がありますが、その中での「再生医療」をどう位置付けるか、真剣に考えなければならない時代が到来しているようです。

 

人は生まれて死ぬように出来ています。「死」は怖い事では無く極自然な出来事です。

死ぬように出来ている人の寿命を何処まで伸ばす事が許されているのか?

神仏のみぞ知るといった所でしょうか?

 

そうそう、最近はペットの再生医療が広がっているようです。

人間と違い規制が緩いペットの方が思い切った施術が出来ますので当然の事ですが、高額な医療費のため受けたくても受けられない人が多く居る中でのペットに対する最先端医療の提供というのも微妙な問題です。

 

我が家の凡犬と凡猫が「再生医療」となったら必ず迷ってしまいます!

犬猫よりも煩悩の多い(純真で無い)私なんかが、「再生医療」は縁が無い生き物かも知れません。

映画「ブレードランナー」

ハリソン・フォード主演の「ブレードランナー」、1982年に製作されたアメリカの近未来を題材としたSF映画です。

改めてテレビで観ましたが、フォードが40歳の時の作品ですので「逃亡者」の大人を感じさせる演技よりも若者の正義感といった印象が強いです。

 

なにより、この映画の画質には感心させられました。

この映画、普通シーンは35mmフィルム、視覚効果は、合成時やコピー時の画質低下を抑えるために65mmフィルムで撮影されていますので36年前の作品とは言っても画質が気になる事はありません。

公開版では、映画会社が早く安くを優先したようですが、ディレクターズカット版やファイナルカット版では、当初の視覚効果を再現したようです。

特にファイナルカット版の画質は文句の付けようがありません。

 

一般のSFアクションは、展開が早くアクションたっぷりといったものが多いですが、この映画は物語をしっかり展開させ台詞も大切にしています。登場人物の描写も他のSFアクション映画では見る事の出来ない深みを見事に描写しています。

 

公開当初は、暗く希望の無い未来を描いている事もあり、あまり受けなかったようです。新聞にも「あらゆる面で偉大な作品」との賞賛と「めちゃめちゃで、ぞっとする」といった酷評が入り混じっていたようですし、アクション映画とは程遠かったため期待外れ、興行的にも同時期に公開された「E.T.」の半分と振わず多くの映画館で上映が打ち切られました。

 

しかし、時代が変わりビデオで繰り返し観られるようになると、ようやく内容が理解され評価が高まったようです。

ハリソン・フォード自身も当初はこの映画をあまり評価していなかったようですが、後年「この映画以降自由に出演作を選べるようになった」と言っていますので、観客がこの映画の良さに気付くのが遅かったのも頷けます。

 

今では、SFアクション映画を代表する作品ですが、主演のハリソン・フォードとヒロインのショーン・ヤングは、撮影中ずっと仲が悪かったそうです。

どちらが悪かったのか?どちらが意地悪だったのか?

名作の裏にこのような事があったというのも以外ですが、映画は出来上がった作品が全てです。

 

未来の話として政策された「2001年宇宙の旅」や続編の「2010年」、そしてこの「ブレードランナー」の時代設定は2019年です。

もう直ぐに2019年を迎えますが、人々が想像するよりも私たちの社会の変化はだいぶ遅いようです。

「お前もか!・・・」

何時も通っているコーヒーショップ「〇〇〇」、年明けから全面禁煙となるようです。

誠に残念と店長に愚痴っていました。今日、難波からの帰りに立ち寄りいつものブレンド飲みながら「今日のブログに書こうかな?」と冗談半分で話をしていると、「店の名前は勘弁して下さい。」との事でしたので今回は「〇〇〇」です。

 

一杯290円ですが、ロースト感のある味は気に入っています。

でも、店内での喫煙は今年一杯までと寂しい限りです。

これも時代の趨勢、仕方がありません。

受動禁煙が喧しく言われていますので「喫煙は文化」といった私の信条も儚く消えてしまいそうです。

 

幸い私が利用する駅の周辺には、煙草を吸える喫茶店が2~3件残っています。

まあ、何時の日かそれらの店も一つ減り、二つ減りとなっていくのは仕方が無い事かも知れません。(トホホ・・・)

 

こんな喫煙者に厳しい時代ですが、今、ライターをオーバーホールに出しています。

オヤジが残していった古いライターですが、家内に「ライターなんかもう要らんやろ」と嫌味を言われながらも火が付くようにとオーバーホールを決行しました。

なんと代金が15,000円、一月の小遣いが飛んでしまいますが、しっかりと作られたライターを破棄するなんて出来ません。

 

2ヶ月かかるという事ですので1月中には帰ってきますが、なんとなく楽しみです。

百貨店のライター売り場も狭くなってライターが、この世から消えてしまいそうで寂しいものです。

 

今までライターと言えば「ジッポー」でしたが、もう直ぐ「デュポン」が仲間入りします。(お古ですが!)

こんな事で「ワク ワク」しているという事は、私も時代に取り残された化石のようなオッサンになったようです。

 

お店の店長には、思わず「お前もか!」という言葉が出そうになりました・・・。