堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

これから1,400億年は安泰!?

ハワイにある日本の「すばる望遠鏡」を使い、高精度で宇宙の過去を観測する国際共同プロジェクトが進んでいます。

宇宙は限りなく膨張してバラバラになるのか、ビッグバンとは逆に収縮して一点になるのかいった論議がなされていますが、途中経過では「少なくとも1,400億年は宇宙は安泰である事が分かった」という発表がなされました。

 

今の宇宙が誕生して137億年、地球が誕生して46億年といわれていますので、「宇宙の終焉」といった事は遥か先のようです。

 

第一、太陽が膨張して地球を飲み込むのが76億年後とも言われていますので、私達には「宇宙の終焉」なんか意に介さなくても良いようです。

膨張した太陽の影響を受ける前に私たちは他の惑星に逃れる手段を手に入れられるか?

たかが数十年の寿命の私には、確認しようがありません・・・

 

私たち人類の祖先(ホモ・サピエンス)が地上に現れたのが20万年前と言われていますので、「人類は長い地球の歴史の中で一瞬の間、生存を許された一つの種にすぎない」という言葉は間違い無いようです。

 

もう直ぐ「平成」が終わり、新しい時代が始まろうとしています。

世界大戦や東西冷戦などの緊張を孕んだ「昭和」と違い、「平成」は激動といった感覚とは少し違う落ち着いた時代のようにも思えます。

 

しかし、一見波乱の無い平成の時代においても、多くの課題が発生し解決が求められています。

日本でも、人口減少と財政健全化が、次の時代に先送りされています。

世界的にみても「格差の拡大」と「地球温暖化」、「原発の後処理」、「世界人口の増加と食糧問題」・・・といった課題についての処方箋が定まっていません。

 

人類が地球をぶっ壊し、生命の歴史の中で最も冷酷な種に成り下がってしまうのかが問われる時代です。

「今さえ良かったら」といった問題の先送りは許されません!

可笑しいんじゃない、「東京盆踊り」

NHKの「クールジャパン」の正月特番で「世界が驚いた日本動画大賞」という企画が放送されていました。

その中で「東京盆踊り」という動画が、海外で見られている日本関連のナンバー1になっていました。

 

シンガポールの方の投稿動画なのですが、外国人観光客が日本で困っている事として、「言葉が通じない」「日本人が何を言っているか解らない」「ボディランゲージも意味不明」といった事を茶化したような歌が紹介されていました。

 

スタジオに集まっている外国の方々も共感されていたようですが、私は少し違和感を感じてしまいました。

日本語圏(日本だけですが)に旅行に来て、英語を話せない日本人を揶揄して笑うというのも理解に苦しみます。

もし、私が英語圏に行っても日本語を話せない現地の人を笑うといった事は絶対にしません!

 

私は、海外に行った時には出来るだけ現地の言葉で話そうと努力します。

相手の事を一番に考えて手を煩わせないようにとの思いと共に、国は違えど同じ人間として常に敬意を持って接するように努めています。

 

しかし、日本に来る海外の方達は母国語や英語で話し掛けられる方が多いようです。

日本人は解らないながらも一生懸命対応しようとするのですが、まだまだ英語で応対出来る人は少ないです。

結局、外国人から声を掛けられても何を言っているのか分かりませんので避けてしまう事も多いようです。(英語が話せないから面倒くさいという気持ちも・・・)

 

日本人はシャイな人が多いです。海外で現地の方に話しかけるのもかなり勇気を振り絞っています。(私は、英語が話せませんが結構平気で話しかけます。単語の連発がお薦めです。相手が返事してくれても何を言っているほとんど解りませんが・・・)

日本に来られた海外の方に道を聞かれて、言葉は通じないながらも教えてあげようとされる方は親切心+勇気がある方だと思います

 

それを面白おかしく茶化す動画が海外で人気があるというのは残念です。

昔と比べて日本に観光に来られる海外の方は多くなりました。

日本は安全で、美味しい食べ物があるから人気なのだと思いますが、そういった事だけでなく日本人の精神文化的なものも理解する努力は必要な気がします。

 

世界の標準語は「英語」です。これには何の異論もありません。

しかし、語意の少ない英語よりも日本語の方が、自然の微妙な風情を的確に表現出来ると思っています。日本語の表現力は素晴らしいものです。

日本に来たのでしたら、少しくらいは日本語を話す努力はして貰いたいと思います。

「日本の文化」の中には、繊細な日本語も入っています!

 

日本に来た外国人が、英語を話せない日本人を揶揄するのは、どう考えても可笑しいです。

「健康寿命」・・・

健康寿命」という言葉を良く耳にするようになりました。

癌や心疾患の治療が進歩した事により、介護や医療に頼らずに日常生活を暮らせる「健康寿命」が延びるというのは素晴らしい事です。

今後、益々医療技術の進歩により健康寿命が延びていく事は確実なようです。

 

しかし、「健康寿命」が延びただけで人々が幸せになれるかというと、そう簡単な問題ではありません。

医療技術が進んでいる米国でも、どれだけの人が高度な医療を享受出来ているか疑問が残ります。これは医療保険制度の違いもありますが、基本となる医療費が日本と比べると一桁高くついてしまいます。米国では、高過ぎる医療費のせいで破産する人が居ます。

 

日本でいう「特養」の機能を持つ「ナーシングホーム」等も年間700万円(実費)と日本の10倍位なようです。

公的介護保険がない米国では、代わりに「メディケア」や「メディケイド」により政府から支払いを受けられるようですが、日本に比べると条件が厳しく、結局、生活困窮者向けの「メディケイド」に移行していく事が多いようです。

要は、余程の富有層か全く財産が無い困窮者以外は金銭的に「特養」にも入居が難しいようです。

 

お金が無ければ暮らし難いと言われている米国では、大半の州で自殺率が上昇しています。

ノースダコタ州では、2014年~16年の自殺率が57.6%も増加していますので、「健康寿命」どころの騒ぎではありません。

 

政治の理想が実現し難い「ポピュリズムの台頭」、富が一部に集中し多くの人々に還元されない「貧富の格差」、弱肉強食を思わせる「自国最優先主義」・・・

新しい時代、新たな課題に対して利己主義で保身するといった潮流を変えない限り、いくら「健康寿命」が延びたところで「幸福感」を感じる社会の実現は難しいような気がします。

 

日本も他人事ではありません!

2015年の自殺者数は24,000人、8年間のベトナム戦争での米兵の犠牲者が58,000人ですので、単純計算では年間で7,000人余りです。

今の日本は、ちょっとした戦争状態?

 

健康寿命」を延ばす事は大切な事ですが、生活の「質」や人々が生きてゆく「環境」の整備、「幸福感」の実現といった事にも資源(お金)を投入していく事が今まで以上に必要な気がします。

何故フードを隠すの?

預かり犬のチビ助は、最近ご飯を残すようになってきました。

つい最近までは、「よし」と言うとフードに突進して食っていましたが、大人に成ってきたのか今では、ほとんど食べない時や半分だけ残す時もあります。

フードを残す時には、フードが残った容器をバリケンの中に敷いてある布団で覆って隠しています。

 

仔犬の時には絶対完食していたのに可笑しいな?と思いながらもご飯を残している時には少し時間をおいてから容器を下げていました。

 

しかし一度だけフードを下げ忘れた時、晩御飯をあげようと容器を見たら全て食べていました。

「お腹がすいて後から食べたんやな」と思ったのですが、そんな気儘は許しません。

家内にも「残したら必ず引き上げるように」と意識統一しています。

 

先日、チビ助が少しだけフードを残しました。10粒くらいだったので残りを凡犬に食べさせました。

残り物のフードを凡犬が喜んで食べていたら、チビ助は「私のご飯やのに・・・」と言いたげに凡犬の周りをうろうろしています。(未練たらしい奴め!)

 

今日もチビ助は、3分の1位フードが残っている容器を一生懸命隠そうとしています。

この時は、バリケンの外で食べさせていたので布団で隠す事が出来ません。

観ているとカーペットの端っこを持ち上げて容器を隠し始めました。

 

チビ助は野良犬出身です。

母犬は、人馴れしていない野良ですので人から食べ物を貰う事も出来ません。

きっと三匹のチビ助兄弟は、何時もお腹を空かして過ごしていたに違い有りません。

飢えた経験の有るワンコは、出された物は何でも食い尽してしまいます。お腹を壊してでも食べてしまいます。

 

ちょっと大人になったのかな?それとも、もっと美味しいオヤツの味を覚えたのかな?

あるいは、食べる量を自分で調整しているのかも知れません。(凡犬と違いチビ助は口が綺麗なようです)

 

そして、残した分は後で食べれるように隠しているようです。(チビ助なりの飢えないための知恵?)

 

有ればあるだけ食べてしまう凡犬に比べるとチビ助は、かなり賢そうです。

そんな賢いチビ助ですが、なかなか里親さんが決まりません。

雑種だからではありません。(今まで預かった雑種の仔犬は、ほぼ2週間もたたないうちに里親さんが決まっていました)

 

こればかりは、ご縁の問題としか言いようがありません。

家内のように甘やかすだけの飼い主ではなく、ちゃんとリーダーになれる里親さんに決まれば、賢いチビ助は絶対的な信頼を飼主に寄せてくるような気がします。

 

賢い犬ほど上手く躾れば、飼主に対する忠誠心は強いようです!

食洗器対応の「箸」

今日は、新年になって初めてお袋に会いに行きました。

徘徊が出てきましたので、私一人では介護もままならず施設のお世話になって2年目を迎えます。(家内は仕事がありますので介護に時間が割けません)

 

新年を迎えても、母の顔を見るまでは新しい年がスタートしたという気分にはなれませんので、母に「おめでとう」と言ってきました。

残念ながら私の顔も分からない状態ですが、顔を見るだけでも嬉しいものです。(完全な自己満足です)

 

帰りに実家に寄り用事を済ませて、いざ「難波」へ

仕事帰りの家内と難波で待ち合わせ「一汁六菜カフェ」(難波に新しく出来た店です)で食事をし、以前から行きたかった箸の専門店「箸長」に行ってきました。

 

実は、今使っている「箸」が大分くたびれてきていますので以前から新しい箸をと思っていたので思い切って寄ってみました。

あまり煌びやかで無く、長く使っても剥げないというリクエストを店員さんに伝えたところ、「それなら黒檀や紫壇といった堅い木が良いですよ」「スネークウッドなんかも」とアドバイスを頂きました。

 

家内と二人で「それじゃ黒檀か紫壇にしよう」と気に入ったものを選んでいたのですが、その時、店員さんから「食洗器は使われますか?」と尋ねられました。

「はい、食洗器で洗っています」

「食洗器を使われるなら専用の箸の方がお薦めです」

 

なんと、「箸」は手洗いが原則との事です。知りませんでした。

西欧人がフォークとナイフを使い始めたのが15世紀になってからですが、中国から伝来した「箸」は5~6世紀から日本に定着していったようです。(ある学者は、縄文時代の遺跡から発見された棒状の漆器を日本最古の「箸」としています)

 

日本では、1,500年の長きに渡り「箸文化」が続いていますが、今になって初めて「箸は食洗器NG!」という事を知りました。お恥ずかしい限りです。

 

「家庭用食洗器対応」と表示のある「箸」2膳を購入しましたが、何時かは黒檀や紫壇、スネークウッドの「箸」を使ってみたいものです。

「切り干し大根」

先日ホームセンターに行った時、家内が「干し籠を買う」と言い出しました。

なんと「切り干し大根を作りたい」にチャレンジだそうです。

義母の好物で直売所などに行った時には「買ってきて」と頼まれるのですが、これが結構お高いようです。

 

今年は大根が安いので一度作ってみようと思い立ち、780円の干し籠を二つ購入しました。

我が家はマンションですので風は結構強いです。日光のよく当たる場所に干し籠を吊るせば放っておくだけで切り干し大根が出来上がると踏んだようです。

 

作り方は結構簡単で大根を切って干し籠に並べるだけですが、湿気が多いとカビたりしますので、冬の空っ風が吹く晴天の日がベスト!

切った大根の大きさにもよりますが、3~5日で美味しい「干し大根」が出来上がるようです。(多分・・・)

 

たまたま親戚から頂いた家庭菜園の大根が三本もあるので、早速切って並べていました。

今日はあいにくの曇り空だったのですが、日中に取りあえず干し、露にあたるとカビの元になるので夜には室内に取り込みます。

 

しかし、干し籠は結構な大きさです。「どこに引っ掛けとこうか?」と悩んだ家内はトイレのドアに引っ掛けていました。

トイレは廊下に面しているので、ドアに干し籠を引っ掛けられると人が通れなくなるし、干し籠が邪魔になってトイレのドアが開けにくいのですが・・・

 

天気予報では3~4日は晴れ時々曇り、5日は曇り、6日は雨となっていますので5日までが勝負のようです。

意外と簡単に干す事が出来たので、「次の晴れが続く日には干し芋を作る!」と家内は張り切っています。

 

干し籠は、「干し椎茸」や「ドライフルーツ」を作ったりと結構色々使えそうです。

野菜でも魚でも干した物は味が凝縮されています。椎茸なんかも生より数段値が張ります。

 

家庭で簡単に作れるならこれに越した事はありません。

今から美味しい「干し大根」が出来上がるのが楽しみです。

 

どうか長続きしてくれますように・・・

「印章(ハンコ)」と「印鑑」

最近はネットで色々な申し込み(契約)が簡単に出来るようになり、印章(ハンコ)の必要性も減って来ているようです。

海外では、ハンコの必要性が全く無く、全てサイン一つで契約が出来ますので、日本でもハンコの必要性も徐々に少なくなっていくようです。

 

私の世代では、やはり大切な契約には実印を押して初めて有効といった感覚が強いですが、時代も変りハンコを押していた事が昔話になってしまいそうです。

「印章」と「印鑑」、同じハンコのように使ってしまっていますが、「印章」はハンコそのもの、「印鑑」はハンコで押した陰影をさすようです。

 

どうりで印鑑登録は、陰影を役所に届け出る事、印章を届けるなんて出来ませんので納得できます。

 

一般的な印章の利用は、紀元前5,000年頃に古代メソポタミアまで遡るといわれていますが、わが国での最古の印章は、有名な「漢委奴国王」の金印とされていますので2,000年近く前からハンコの文化がスタートしたようです。

本格的にハンコが使われたのが1,300年前ですので、日本人とハンコは良い意味で腐れ縁といった思いがします。

 

ヨーロッパでも、手紙の封蝋(封印)のように、昔のハンコの名残がかろうじて残っているようですが、契約書なんかはサインだけで挌好よく済んでしまいます。

印鑑登録制度があるのは、日韓併合等で日本の影響を受けた韓国と台湾くらいですので、ハンコは日本独特の文化?のようです。

 

でも、私なんかは、絵画や書に朱色の印鑑があれば、それだけで重みを感じてしまいます。値打ちがあるように思ってしまいます。

時代が変わっても、私の頭にはハンコへの愛着が強く残ったまま消えそうにはありません!