堺市の変人

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「カラヤン」と「トスカニーニ」

20世紀、クラシック界の「帝王」と呼ばれ日本でもファンの多い「ヘルベルト・フォン・カラヤン」、クラシックをより多くの人の耳に届けた功績は、カラヤンが最たるものではないでしょうか?

 

私なんかも彼の「ベートーベン第九」がクラシックを聴くスタートだったような気がします。美しい所は極めて美しく、盛り上がる所は怒涛のごとく盛り上がり完璧な程にミスの無い演奏は、「何処が悪い?」と聞かれたら返答に困ってしまいます。

それ程にカラヤンベルリンフィルの演奏は、一つのクラシック演奏の完成された形を造っているようです。

 

しかし、カラヤンの演奏を聴いて、一ついえる事は聴いている時は完璧といえる演奏に納得させられるのですが、残念ながらもう一度聴きたいと思う事が少ない事です。最近は途中で聴くのを止めてしまう事も多いような気がします。

最低限言える事は、カラヤンの演奏は想像の範囲を越えておらず「ハッ」とさせられる事が少ないような気がします。

 

片や、「アルトゥ―ロ・トスカニーニ」、カラヤンより一世代前のトスカニーニの演奏は、時代が古い分、録音もカラヤンのCDより音が良くないのが多いように思われますが、悪い音で聴く「ベートーベンの交響曲」でさえカラヤンにない指揮者の強い意思が感じられ、音楽を通して「志」といったものを強く感じさせてくれます。

 

トスカニーニのモットーは「楽譜に忠実」と言われています。

ある指揮者が、ベートーベンの直系の弟子に聞いたという交響曲の演奏法をトスカニーニに話したところ、彼は一言「そんなことはスコアに全部書いてある。」と吐き捨てたという逸話も頷けるような気がします。

 

カラヤン小澤征爾に「シベリウスの音楽を演奏するには、フィンランドの自然を知らなければならない」と言った事もトスカニーニにしてみれば「スコアをみれば十分だ!」という事になるのでしょう。

 

そういえば、以前友人とシベリウス交響曲の話をしたことがありました。

かの友人はカラヤン指揮の演奏を気に入っていたようですが、私がベルグルンド指揮・ヘルシンキ響の本場物を紹介したところ、今では「シベリウス交響曲ベルグルンドが一番」と宣っています。

 

たしかに、カラヤンシベリウスは文句の付けようのない演奏ですが、ベルグルンド・ヘルシンキ響の重心の低い大地から音が湧き出て来るような演奏は、創造を越えて聴く者の心に深く響いて来ます。

 

シベリウスファンの方は、一度聴いてみて下さい。お薦めです!