堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

無駄飯食い

昨日、ベランダで夕食を食べていたら小さなゴキブリの子供と思われる虫が窓に張り付いていました。

毎年、夏が近づくとホウ酸と玉ねぎと牛乳で作ったお手製のゴキブリ団子をそこかしこに置くので、家の中ではゴキブリは出ません。しかし、ベランダなどには流れ者のゴキブリを見かけることがあり、年に1~2回は室内の入って来ます。

 

家内はゴキブリが大大大嫌い(好きな人は少ないと思いますが・・・)

以前、私が旅行に出かけた時に、たまたまゴキブリが入ってきた時には、宿に居る私に「今から帰ってきてほしい」と本気で電話をしてくるくらいです。怖さが先にたって自分で始末をつけることが出来ないようです。(その時は台所用洗剤をゴキブリに向かって吹きかけ一本使い切って始末、後片付けが大変だったとブツブツ言っていました。

そもそも怖くてゴキブリの近くに行く事が出来ないのですから、ゴキブリ退治も時間が掛かるようです。

 

3億年前の古生代から住んで「生きた化石」と呼ばれているゴキブリに比べ、人類は、たかだか数十万年の歴史しか有りません。

ゴキブリから見れば「新参者の人間(ホモ・サピエンス)に何故ここまで虐げられるのか!」と憤懣たらたらといった所でしょう。

 

そんな家内も犬猫を飼い始めてからは少し安心感が出て来たと言ってました。(一時だけだったようです)

家内の知人宅の猫は、ゴキブリが出たら喜んで捕まえ、主人の所に持ってきては見せるという話を聞いたようです。

 

昨年に、これも私が居ない時に大きなゴキブリがリビングに出現!

凡犬は蠅でも怖がる意気地なしですので、最初から当てには出来ません。

家内の救世主は猫のみ!

期待を一身に背負った凡猫がゴキブリを退治してくれると思いきや、猫はあらぬ方向を向いて知らん顔?いくらゴキブリに気付かせようとしても、眠いのか丸くなって座ったまま一向に動かなかったそうです。

 

「こんな奴当てにしてもゴキブリは退治できへん!」と思った家内は、またぞろ台所洗剤を一本使い切ってなんとかゴキブリを退治したようです。

ゴキブリを始末しなければ安心して寝る事も出来ないのですから家内も必死です。

 

ゴキブリ用の殺虫剤もありますが、噴射した後を犬猫が舐めたら大変なことに?と思い室内で使うのを躊躇しているようです。それ程、犬や猫に気を使っているのに全く役に立たない犬と猫!

 

本当に、食って、寝て、排便して、可愛がってもらうだけの生き物・・・

「無駄飯食い」の我が家の凡犬と凡猫です。

 

それにしても、3億年もの間、環境の変化に耐え、順応しているゴキブリの生命力の強さには驚かされます。

犬・猫は勿論の事、私(人間)もゴキブリの足元にも及ばないようです!

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気骨の歴史学者

本屋さんで、それとなく並んでいる書籍を眺めていると「古事記及び日本書紀の研究」(津田左右吉著)が目に入りました。

帯には「古代史を科学的に捉えた不朽の歴史書、ついに新書化!」という文字が!

早々に手にとってレジに並んでしまいました。

 

私は、日本の古代史には特に惹かれるといった事はありません。

内容も今の新書のように「面白可笑しく」書かれていませんので、私には退屈そのものです。

 

記憶の中に「津田事件」という文字が残っていました。

日本が、日清・日露・太平洋戦争へと突き進んでいく時期、皇国史観が当たり前の世相の中で、津田が日本書記における聖徳太子関連記事について実在性等に批判的な考察をしたことにより、「皇室の尊厳を冒涜した」として書物は発禁処分、津田と岩波書店は出版法違反で有罪になったという事件です。

 

書籍の中身は、私には読み通す自信は全く有りませんが、真実を曲げずに真実を貫き通した津田の姿勢に興味を持ち買ってしまいました。

ついつい心が折れそうな時の「お守り」といったところです。

 

美濃部達吉の「天皇機関説」や有名なガリレオの「それでも地球はまわっている」といったように、昔は投獄の危険も顧みず正しい主張(真実)を訴え続けた気骨のある人物が多く現れ新しい時代を作っていったような気がします。

 

今、巷で騒がれている「森友・加計問題」を見ていると、役人(官僚)の組織や上司に対する忠誠心には驚かされます。

残念な事は、真実を語らずに盲目的に組織や上司を守る事に徹しているように見えてしまう事です。

誤った忠誠心は国を滅ぼします!

昔は、政治家が誤った判断を行いそうな時など、膝詰めで官僚が大臣を説得した事もあったようです。

 

気骨の歴史家、津田左右吉に学ぶ事が多いようです!

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R・シュトラウス「アルプス交響曲」

リヒャルト・シュトラウスといえば、交響詩ツァラトゥストラかく語りき」が余りにも有名です。

2001年宇宙の旅の最初の導入部に使われ、この映画と言えばヨハン・シュトラウスⅡの「美しき青きドナウ」と併せ、この「ツァラトゥストラかく語りき」が、これ以上は望めないという程効果的に使われています。

 

この曲のCDでは、カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニーの1983年盤がとても聴き易く何の不足も感じません。

演奏が名門ベルリン・フィルですから当然ですが、盛り上がる所はきっちり盛り上がり、押さえる所はきっちり抑えるというお手本のような演奏です。

 

曲のイメージと指揮者・楽団が上手くマッチしているように感じました。(ベートーベンでは少しもの足りなさが残るかも?)

 

R・シュトラウスでもう一曲忘れられないのが「アルプス交響曲」です。

実は、私はジャケットの山の写真に惹かれて購入しました。(いわゆるジャケット買いです)

しかし、聴いてみると、これも「ツァラトゥストラかく語りき」と同様に曲のイメージと演奏がピッタリはまっています。

同じくカラヤン指揮でベルリンフィル(1980年録音)です。

 

このCDを購入した頃は、私自身山登りに夢中でしたので「わが意を得たり」といった気持で聴いたものでした。

「日の出」の演奏は、まるで遥か遠くの山々から日が登るのが目に浮かぶようにも感じたものでした。

カラヤンは、そんなに好きな指揮者ではありませんが、R・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラかく語りき」と「アルプス交響曲」は、どうしてもこれらのCDに手が伸びてしまいます。

 

ベートーベンの第九ならフルトベングラ―ン、第六ならワルターショパンのピアノ協奏曲一番はアルゲリッチと、この歳になると好みが固まってしまいますので、CDも同じ物に手が伸びてしまいます。

何百枚とCDを持っている知人に聞いても同じような事を言っていますので、特別な事では無いようです。

 

カラヤンの演奏で一つ気になるのは、初めから終わりまで計算された演奏のように感じる時が有る事です。「演奏を感じてしまう」というと変な表現ですが、例えばフルトベングラ―のバイロイト盤なんかは、ただ、音楽だけが聴こえて来て指揮者や楽団の演奏といったものが見えなくなってしまい全く「演奏(奏者)」を感じさせない凄い瞬間があります。

 

多くはありませんが、このような演奏に触れると、オーケストラも演奏をしている事を忘れ、指揮者も指揮をしている事を忘れる瞬間が有るのでは?と思ってしまいます。

 

歴史に残る名盤(名演)には、そのような計算を越えた要素が有るような気がします。

ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏するドヴォルザ―ク「チェロ協奏曲」を聴いてみたくなりました。

私は「ガラパゴス」?

昨日、所用で朝から大阪市内に出掛けました。

先にワンコの散歩を済ませ朝食、7時半過ぎに家を出てコンビニで新聞を買い泉北高速に乗車、10年振りの通勤電車です。

 

「ラッシュ時の割にはそんなに混んでいないな」といった思いでしたが、最近の混み具合を知る由も無く、「こんなものか」思っていました。隣に立っている人と肩すれ合う事も無く新聞を読んでいて「ふっ」と、電車で新聞を読んでいるのは私一人だと気付きました。

 

私が通勤していた頃は、皆、車内で新聞を読んでいたものですが、今は「iPHON」ばかりです。

つくづく「時代遅れ」を実感してしまいました。

新聞や文庫本はもう時代遅れのようです。

家内に聞くと、たまには新聞や本を読んでいる人が居られるようですが、やはり少数派らしいです。

 

用事を済ませ11時過ぎに、今度は地下鉄に乗って難波まで出たのですが、そこでも私一人が新聞を読んでいました。

今では「iPHON」で新聞や小説を読む事も出来るようですので、確かなところは不明です。しかし、私が「ガラパゴス化」しているのは確かなようです。

まあ、今持っている携帯も「ガラ携」ですので驚く事もありません。(全く不便は感じません)

街(車内)の風物詩が知らぬ間に変わってしまっている事に今さらながら驚いてしまいました。

 

ラーメン屋のチャルメラの音も今ではもう聞く事が出来ません。

豆腐屋のラッパも懐かしい思い出です。

昔は、「風呂焚いたから入りにおいで」とかいって互いに風呂を貸し借りした事も遠い昔の事です。

ひょっとしたら、昔の方が人と人とが助け合って生きていたのかな?

 

そんな昔話を懐かしがっているオッサンです。

真正の「ガラパゴス」ですね!

「手紙」の力

最近は電話をかける若者が少なくなっていると聞きます。人との連絡は「ライン」や「メール」が電話にとって代わっているようです。

ラインは「直ぐに返事しなくては仲間外れになってしまう」みたいな強迫観念に駆られてスマートフォンが手放せない若者も多々居るとも聞きます。

 

ラインも今では大切なコミュニケーション手段ですが、電話に出て直接人と話すのは苦手な人も増えているようです。

ラインでコミュニケーションが濃厚になっているようにも思えますが、実は人との繋がりが希薄になっているような感じがします。会話が苦手な人も出て来ているようです。

 

今日、家内の元に一通の手紙が届きました。疎遠になっていた幼馴染からの手紙です。

家内は「手紙なんて珍しい、何書いてきたんやろ?」と言いながら仕事鞄を置くのももどかし気な様子で封を開けていました。

そして手紙を読んだと思ったら即、返信用の便せんと封筒を探し始めました。

しかし、手紙なんてほとんど書かない家内には気の利いた便箋や封筒なんて探してもありません。

 

「昔、可愛い便箋とか買ってあったのに、どこにやったかな?」と言いながらも諦めて、味もそっけもない(可愛くない)私の便箋と封筒を使って返信を書いていました。

 

普段はメールの返信ですら面倒くさがる家内が、手紙を受け取って即返信を書くなんてありえない行動です。

それだけ手紙には、メールやラインに無いインパクトが有るようです。改めて手紙の魅力を感じました。

家内は10数年ぶりに幼馴染と会う事になりそうです。

下手くそな字でも手紙を書く事で疎遠になっていた人との距離が近づく事もあるようです。

 

今は出す当ても無い手紙ですが、便箋と封筒、切手と万年筆を揃えておこうと改めて思いました。

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賢そうな?「犬たち」

今日もワンコ二匹と夜の散歩に出掛けました。

家から出て、まず「お座り」、二匹を落ち着かせ散歩開始です。

 

散歩を始めて直ぐに、ミックスの小型犬とすれ違いました。

今までもたまにお会いする方でしたが、相変わらずワンコは此方を見るなり「ワン ワン」と吠えながら忙しく飛び跳ねています。

 

片や、当方の二匹,、吠え掛けられても列を乱さず、並んでせっせと横に付いて歩いています。

「まあ、賢いね」と相手の飼主さんに褒められた我が家の凡犬達でしたが、この二匹、はっきり言って賢くありません。

 

多分、ちび犬に吠えられて怖かったようです。ひたすら私の横にくっついていました。

今まで、20匹余りのワンコの預りをしましたが、本当に賢いなと思ったのは、2~3匹です。

 

一番賢かったのは、人の思いを先取りして行動する犬でした。

飼い主が思う事を先取りして実際に行って飼主に褒められたい一心の犬でした。

バリケンに入る練習も兼ね、預り犬は寝る前には「ハウス」といって小屋に入れていましたが、このワンコ、そろそろ寝ようかといって立ちあがると「ハウス」と命令しなくても自分から小屋に入って行くような正に「目から鼻に抜ける」といった表現がピッタリのワンコでした。(さすがに家内もこの時ばかりは目を丸くしていました)

 

二番目は、人を見切って対応を変える小賢しさを持った雑種、今もたまにドッグランでお会いするのですが、他のドッグランで他所のワンコに噛みついて出入り禁止!

なかなか飼主さんの言う事を聞かないと嘆いておられました。

しかし、この犬、ドッグトレナーさんの前では優等生!

オヤツを貰う時にもじっとお座りし待っています。

「見て見て、私賢いでしょう」と言っているようです。

本当に小賢しいワンコでした。

 

三番目は、これも雑種でしたが我が家で世話している時には普通のワンコでした。(少し甘えたでしたが)

しかし、新しい飼主宅では4~5匹(大型犬から小型犬まで)いるワンコの中で「ボス」になっているようです。

飼主さん曰く「この子は悪い事をすれば、そのワンコを躾してくれます。本当に助かっています」とベタ褒めです。驚きの賢い犬だったようです。

「能ある鷹は爪隠す」とは良く言ったもので、我が家に居る時は爪を隠し続けたワンコだったようです。

 

しかし、賢いワンコは飼い主を選びます。(飼主を見抜いてしまいます)

しっかりとした飼主にしか言う事を聞かなくなるというのは、良く聞く話です。

今のちょっとお馬鹿さんのワンコが我が家に合っているような気がします!

「ジョギング」 or 「ランニング」

今日は実家の草刈りでジョギングは休みました。

昨日は、気温が低めでしたのでジョギングには最高のコンディション!

早速、一周8キロのコースを50分を目標に走り始めたのですが、走っている途中に電気屋さん&家内から2回電話が入りスピードを落としてしまいました。(もともと大した速さでは無いです)

 

結果、一周53分、「クソッ 電話さえ無ければ」と、何時もの如く人のせいにしてしまいましたが、惜しかったです。

6月中に50分を切れればいい、歳を考えてゆっくり楽しく無理なく続けて行こう!

ポケットには、昨日から「健康保険証」が入っています。(歳相応の危機管理)

 

昨日の夜、布団に入って「ふっ」とジョギングとランニングってどう違うのかな?と気になりました。

横で寝ている家内に、タブレットで調べてもらったところ

ジョギングは走りながら話が出来る程度の速さで健康維持が目的、タイム等の目標がなく心拍数が140以下、時速は8キロ以下等の基準があるようです。

時速については6.4キロという記述も有るようですが、どちらにしても、今の私はジョギングとランニングの境目位で「ゼイ ゼイ」言っているようです。

 

10年位前は時速10キロ位でも鼻で息をしていましたが、今は走り始めてすぐに口で息をし「ハア ハア」状態です。

母の介護も有り長い間走っていませんでしたので仕方がありません。

走っている時に体の中からリズムが湧いて来るような気分になれば最高です!

取りあえず速さは無視をし長く楽しい走りに集中していくのが高齢者の私には合っているのかな?

 

でも、走り始めるとついつい「より早く」なんて気持ちになってしまいます。

「毎日、少しの時間が有ればランニングシューズを履いて家を飛び出す」

これだけは続けたいです。