猫の順位付け
またまた猫の話です。
犬が家族を順位付けするという話は良く聞きます。
犬は自分を家族の中で下から二番目だと位置づけすると言う話も聞いた事があります。
「お父さん、お母さん、子供」の家庭であれば、犬は「お父さん、お母さん、犬、子供」の順番で自分は子供より上だと位置付けるようです。
しかし、中には家族の中で自分が一番上だと思っている犬も居るようで、家族(飼主)の言うことを聞かないばかりか、家族に噛みつくといったトラブルも耳にする事があります。ただ、いくら問題行動がある犬でも、リーダー(自分より上)と認めた人には噛みませんし、命令に従いますので矯正は可能なようです。
では猫は?
猫は自由で野性味が強く躾けが出来ない生き物のようです。
我が家の猫に限って言いますと「家内・凡犬・猫・私・預かり犬」の順位付けをしていますので、絶対に私より上の地位に居ると思い込んでます。
自分(ネコ)にとって気に入らない事があると、私や預かり犬には猫パンチを遠慮なく繰り出しますが、家内や凡犬には決して手を出しません。
「猫は仲間と認めた者を舐めて、自分の匂いをつける習慣がある」とテレビの番組でやっていた時、「うちの猫は舐めへんよな」と家内に言うと「え、いつも舐めてくるよ?」という返事です。
私は一度たりとも舐められた事はありません。
猫のザラザラした舌で舐められたところで痛いだけで決して舐めて欲しいとは思いませんが、「家内の事は舐める=仲間と認めている」と聞くと気持ち良い訳がありません。
猫は凡犬に対しては大変気を使っており、凡犬が寝ている時に近くを通る場合は「そぉ~」と音をたてずに、それこそ抜き足差し足で歩いているのを見かけます。
ワンコは猫が自分を起こすような事があった時は遠慮なく「わんっ!!」と吠えて猫を叱ります。(ネコは親に叱られた子供のように振舞います)
しかし、私が悪い事をしている時に叱っても猫は知らん顔!
本当に猫という生き物は気ままこの上無い生き物です。
人間に最も身近な野生です!
家内と凡犬には大変懐いているので、家内は「可愛い!可愛い!世界一可愛い!!」と猫可愛がり!
「そんなことしてるから猫がいい気になるんや!」「凡猫め!」
何時も言っていますが、家内は聞く耳を持っていないようです。
家の中にいて、何の心配も無く餌だけ貰っていて、何が野生か!
映画「エルダ―兄弟」
1965年に上映された「エルダ―兄弟」、監督ヘンリー・ハサウェイ、主演ジョン・ウェイン+リオ・ブラボーでお馴染みのディーン・マーチンというと「ニコリ」としてしまう人も多いと思います。(それなりの歳の西部劇ファンに限られるかもしれませんが)
色んなジャンルの映画を撮影しているヘンリー・ハサウェイは、大作「西部開拓史」でも監督を務めていますが、映画の職人という感があります。
ジョン・ウェインは、古き良き時代のアメリカを代表する俳優ですが、その物腰は彼独特のものです。
同世代の理知的で紳士的な印象のヘンリー・フォンダとは違い、ジョン・ウェインは力強く男性的、正にアメリカの強く頼れるお父さんというイメージです。
この二人は、アメリカ映画の大作中の大作「西部開拓史」と「史上最大の作戦」に共に出演し見事な演技を見せていたのが忘れられません。
「エルダ―兄弟」は、典型的な勧善懲悪の西部劇です。そこに兄弟愛が織り重ねられ物語が進んで行きます。
最後には、水戸黄門のごとく悪人が倒されるという単純明快な映画です。インディアン(ネイチブアメリカン)も登場しませんので、人権で悩む必要もありませんので気が楽です。
1965年に政策された映画ですが、この頃、アメリカの人々は「正義は勝つ」「世の中に正義が存在する」といった思いが常識として心の中に有った時代だったと思わせる映画です。
未だ「人種問題」や「無差別な銃の乱射」、「薬物の蔓延」「貧富の格差拡大」・・・
何かと嫌な話が耳に飛び込んで来ます。
50年以上を経て科学技術が数段進歩しているはずの現代ですが、どれだけの人が「正義」が実行されると信じているか疑問に感じる事があります。
強い者が勝ち弱い者が負ける?そこに正義が無ければ社会は荒れ、人心はすさんで行きます。
日本でも、色んな問題について「どうせ世の中はそういうものさ」と言った言葉を聞くことがありますが、人々が諦めたその時に、世の中の進歩が止まってしまうような気がしてなりません!
私も「水戸黄門」の精神を少しでも持ち続けたいと思います。
猫とカーテン
我が家は猫がカーテンでボルダリングをやりますので、真冬でもカーテンが閉められず寒々しい部屋で暮らしています。(これは以前に書いたかも)
リビングのカーテンは入居の際にかなり悩んで吟味して買ったロールスクリーンのカーテンです。値段もそれなりにしましたし、時間をかけて選んだので思い入れもあります。
しかし、猫にとっては人間の都合なんて全く関係ありません。
我が家の猫は壁や柱で爪研ぎはしませんし、トイレの失敗も一度たりともしたことがありません。
ただ一つの問題はカーテンです。部屋の中を駆け回りカーテンによじ登るという遊びが大好きなようです。
当然、ロールカーテンも遊び道具です。お気に入りのカーテンですので、猫が歳を取って落ち着きを見せるまで巻き上げたままにしています。
そのため犠牲になったのが寝室のカーテン、寝室のカーテンは前の家から使っている安物です。これなら爪の引っ張り跡がついても大丈夫と思っていたのですが、跡がつくどころか破られて外からみたらお化け屋敷のカーテンみたいにボロボロにされてしまいました。(取り替えてもまた破られるのでしばらくはそのままにしておきました)
しかし、この度マンションでは屋根部分の防水工事が行われ、ルーフ部分に職人さんが入って来られます。「室内が見えてしまうのでカーテンをして下さい」と管理組合からもお達しが・・・
これは困った事になったと思いましたが、散らかしっぱなしの室内が丸見えになってしまうのは避けたいですし、ネコも少しは落ち着いているのではと期待を込めてカーテンを下しました。
カーテンを下ろして一日位は大人しくしていたでしょうか・・・
しかし、二日目にはカーテンを巻き上げる紐で遊び始め、あれよあれよという間にカーテンをよじ登っていきます。
一度は叱ってカーテンから引っぺがしたのですが、そんなことで諦めるような猫ではありません。10分もしない内にまたよじ登りはじめたので、さすがの家内も悲鳴をあげました。
そして猫を引っぺがすと、カーテンを巻き上げ、残っているカーテンレールに他の部屋用のカーテン(安物です)を吊り下げていました。・・・
猫を飼い始めた時、あまりにもいたずらが凄いので猫飼いの人に相談すると「二歳過ぎれば落ち着いてきますよ」と言われていました。
でも、家の猫はこの春で5歳になるはずなのに全く落ち着た様子はありません!
我が家のリビングにカーテンが下りる日はまだまだ先のようです。
朝の「躾教室」
今朝は天気も良く気持ち良くワンコの散歩に出かけました。
二匹共、早めにウンチをしてくれましたので「ウンチは未だかな?」という思いから解放されルンルン気分の散歩です。
途中、何時ものベンチで煙草を一服、これがあるから煙草は止められません。(この間は二匹共じっとお座り!ようやく様になって来ました)
帰りはコンビニに寄って、ウンチをゴミ箱へ、朝刊を買い帰宅の途につきました。
そろそろ家に到着かな?と言う時に向こうから小さな黒柴がチョコチョコと歩いてきました。見た目にも落ち着きが無くチョコチョコしています。
当方の二匹にお座りをさせ、チビ犬が通り過ぎるのを待っていました。
普通に通り過ぎるのかなと思っていましたら、黒柴は嬉しそうに真っすぐ此方に寄ってきます。
我が家の凡犬は、仔犬の馴れ馴れしさが気に入らないのか「ウ―」といって口に皺を寄せています。
つかさづチョップを入れてお座りをし直させました。
「お利口ですね、うちは全く落ち着きがなく何時もこんなんです」と黒柴の飼主さんが愚痴を言っておられました。
年齢を聞くと「5ヶ月です。マメシバという事で買ったのですが思ったより大きくなりそうです。」と言っておられました。(一番悪い時期です。仔犬は悪魔!)
犬を飼うのは初めてのようで、どのように躾て良いのか戸惑っておられるようでした。
話をしている間も、チビ助は私の手を一生懸命甘噛みしています。
「今一番悪い時ですね」
「1年半から2年で性格が固まりますから今のうちに躾た方が楽ですよ」
「躾教室には行かれていますか」
「ワンコを守るためにも躾は大切です」・・・
お節介にも色々聞いてしまいました。
「治るんでしょうか?」
「躾教室には未だ言っていません」
そんな会話中もワンコはチョコチョコ、噛み噛み・・・
じっとしている事はありません。
「先ず甘噛みは今のうちに治した方が」と言いながらチビ助にチョップを入れました。
「最近は褒めて躾けるような教室もありますが、褒めるだけで甘噛みを治すのは難しいですよ」と言いながら、また甘噛みするチビ助にチョップ!
それからチビ助を抱っこしてみました。
暴れるは鳴くはの大騒ぎです。まるで虐待を受けているような声を出しています。
「暴れるからといってこの時にワンコを離さないようにして下さい。この時離したらワンコは次も暴れたら逃げられると学習しますよ」と言いながら、ワンコが大人しくなるまでジット抱き続けました。
ワンコが大人しくなり落ち着いたところで離してあげたのでしたが、飼い主がこうと思った事は最後までやり遂げる事が大切です。中途半端で終わってしまったら逆効果です。
母犬に十分躾を受けていないワンコは、飼い主が母犬のような気持ちで仔犬を躾けていく必要があるようです。
「噛み癖」は危険です。人に怪我をさせればワンコが殺処分と言う事も考えられます。
「何かあれば何時でもご相談下さい。」と言ってその場を去ったのですが、一旦飼えば最後の最後までワンコを守り切って欲しいと願っています。
エマニュエル・トッド
今読んでいる「世界の未来」(朝日新書)、副題の「ギャンブル化する民主主義、帝国化する資本主義」に惹かれ買いました。
世界最高の知性と銘打って「エマニュエル・トッド(フランス)「ピエール・ロザンヴァロン(フランス)」「ヴォルフガング・シュトレーク(ドイツ)」「ジェームズ・ホリフィールド(アメリカ)」の四人のインタビューや講演が紹介されています。
内容は、「グローバル化への反動として、多くの問題が噴出する私達の社会」「先進国の中でこそポピュリズムが台頭するのはなぜか」「行き詰まる民主主義の再活性化に何が必要か」「崩壊が進む資本主義に取って代わるものはありえるのか」「排他主義の高まりとどう向き合えばよいのか」と正に私達の社会が抱える問題に焦点が当てられています。
ようやく50ページ余りを読み終え「エマニュエル・トッド」の項を読みおえました。(自慢では無いですが読むのは遅いです)
「エマニュエル・トッド」は、シラク・サルコジ・オランドの歴代フランス大統領を厳しく批判して来ました。マクロン現大統領にも、ただの優等生、体制順応で点取り虫と評していますので、フランスではアウトロー、反逆者といったイメージのようです。
当然「ルモンド」や「フィガロ」といった大新聞かのインタビューを受ける事は無いようですが、日本では世界の「知性」として脚光を浴びています。
日本のマスコミは、フランスと違って礼儀正しく敬意を払ってくれますので、日本の記者と話すときは、穏やかで落ち着いた態度で真面目に話が出来ます。という彼の言葉に私は、アウトロー的なものを感じる事はありません。
記述の中に「民主主義の土台を崩す高等教育」という項がありました。
識字率の広がりや学問の必要性は、彼も認めていますが、フランスでは、権力の座に就く人が学んでいる超エリート校グランド・ゼコールを出た人が知的だという事は無い。と明言しています。
むしろ、企業や組織の中間管理職や現場監督、病院の看護師といった人たちの方が、マクロン大統領よりもっと知的だと言い放っています。
高等教育の最高峰、国の指導者を生み出すようなエリート校が排出する人物が、変革していく時代に合わせて社会を変えて行く事より、変化を嫌い体制を守り順応していく事に危機感を感じているようです。
現在の高等教育を「民主主義の土台を崩す」とまで言い放っているのですから、危機感は相当なものです。
翻って、日本の現状を見てみてもフランスと大差は無いような気がしてなりません。
ひょっとしてフランスや日本だけでなく世界的な現象なのかも知れません。
日々、色んなニュースが飛び込んで来ますが、政治家や最高の教育を受けた官僚の言動に肌寒さを覚える事もあります。
企業人は会社を大きくし利益を追い求める事は当然の事ですが、少なくとも政治家や行政は弱い者のフォローが使命では!
実際、時代が経てば経つほど、社会が不安定になり、地域の争いが増え、戦争の危険性も増大しているようです。私達が住む環境も回復が難しい程に悪化しているようです。
「進歩」という言葉が空虚に聞こえてきます。
高等教育が、エスタブリッシュメント(既存体制の擁護者)や富裕階層の養成機関になってしまったら民主主義は崩壊してしまいます。
「世界の知性」の目はさすがだと感心させられました。
「ポニー ポニー ハングリー」
この前の土曜日の朝、テレビで美味しそうな焼き菓子のお店を紹介していました。
東京の有名焼き菓子店のプロデュースをしていた女性がオーナーパティシェ、国を問わずご自身の作りたい焼き菓子を作っておられるという事ですので、否応なく好奇心がかき立てられます。
イギリスのスコーンから、日本では珍しいミンスパイ、名前は忘れましたがアメリカのお菓子で胚芽入りビスケットでマシュマロを挟んだもの、日本の京野菜を入れて焼いたパウンドケーキ・・・とても美味しそうなお菓子が紹介されていました。
家内は「わー美味しそう、でもどうせ東京の店やろ」と言いながら見ていたのですが、なんと大阪の西区にあるお店と分かったとたん「行ってみたい!」と言い出しました。
たまたま次の日に大阪に行く用事があったので「行ってみるかー」ということになって車で出かけました。
店は12時開店、12時5分くらいに到着したところ、もう店の前には行列が出来ていました。
たまたま一台分空いていたタイムズの駐車場に車を停めて列に並びました。
ここまでは順調でしたが、列が全然前に進みません!
購入したお客さんが10分に一人出て来られる位のスローペースです。
一緒に並んでいた人に聞いたところ、やはり「昨日のテレビを見て来た」と言っておられました。テレビの影響力の凄さをつくづく感じました。
このペースでは購入するまでに1時間から2時間位はかかりそうでした。
いつもは列が出来ているお店は、パスするのが常の家内が「二時間くらいまで頑張る」と焼き菓子に執念を燃やしています。
結局、寒い中一時間半くらい待ってやっと店に入れ注文を聞いてもらえました。(こんなに並んで待ったのは10年振り位です)
私は、シンプルなマフィンとクッキーを家内にお願いし早々に人混みを避け外で待っていましたが、なかなか家内が出て来ません。
ケースの中にクッキーからパウンドケーキまで色々な焼き菓子が並んでいて、どれを買おうか迷っていたそうです。
暫くして、家内は山ほどのお菓子(私にはそう見えました)を持って満足そうに店から出て来ました。(私は入店待ちの列を見ながら後方の方まで焼き菓子が当たるかと心配していましたが、次々に焼きあがっていたようです)
家に戻ってさっそく食べてみたのですが、やはり「美味しい!」そうです?
私は、一口づつ食べましたが「まずくはないな」と言ったところ、家内に味覚を疑われてしまいました。因みに、家内はベタ褒めです。
レーズンクッキーはパリパリとした触感と甘すぎない生地、甘いレーズンの組み合わせが絶妙との事、どのお菓子も甘すぎず日本人の口に合うように作られているのが美味しい理由のようです。
そして素材の味をキチンと感じられるよう丁寧に作られています。(キャロットケーキはちゃんとニンジンの味がわかるのです)
「また食べてみたいと思わせる焼き菓子、お近くに行かれた時に寄ってみても損はないと思います。」との事です。甘党の方にはお薦めです!
クリフォード・ブラウン
クリフォード・ブラウンは、チャーリー・パーカーやソニー・ロリンズというジャズサックスの巨星と共演していたジャズトランペットの名手です。
1956年に25歳の若さで亡くなっていますので、演奏活動は僅か6年位です。
彼の「クリフォード・ブラウン ウィズ ストリングス(1955年)」、私はジャズトランペットを聞きたくなったら、必ず手が伸びてしまう名盤です。
ストリングス(ヴァイオリン・チェロ等の弦楽器)をバックに心地よく飛んでくるトランペットの音は情感もたっぷり!
どこまでも伸びきった音に酔わされるという思いです。
ウディ・ショウの「ユナイテッド(1980年)」、マイルス・デイビスの「オリンピア(1960年)」共々、私にはお気に入りの一枚となっています。(ディジー・ガレスピーの「グル―ヴィン・ハイ」は迫力もありスピード感も最高ですが、録音が古いのが惜しまれます)
残されたアルバムは、活動期間が短いため少ないですが、この「ストリングス」をはじめ「スタディ・イン・ブラウン」「クリフォード・ブラウン=マックス・ロ―チ+2」「ザ・ビギニング・アンド・エンド」・・・聴き応えのある名演が揃っています。
トランペットとドラムの名手が揃ったマックス・ロ―チとの共演も捨て難いものがあります。
それにしても、この「ストリングス」、60年以上前の演奏ですが、最近のジャズを聴いても此の演奏を越えるものは少ないように思えます。
やはりジャズは、情感たっぷり、汗を感じるような演奏が聴ければ最高です。