紳士のスポーツ「ノルディック複合」
今回のピョンチャンオリンピック、ノルディックスキー複合個人ノーマルヒルで渡部暁斗選手が二大会連続で銀メダルを獲得しました。
「今回は金メダルかな」と期待したのですが、「最後は彼(フレンツェル)の方がスピードがあったんで完敗かな」と相手の強さを認めている渡部選手のコメントは大したものだと感じ入りました。
競争相手の選手、打ち負かされた相手を讃える言動に真のスポーツマンシップを見るようで爽やかな思いがします。
もともと、「ノルディック複合個人」は、個人競技でありながら先頭を複数の選手が競った時には、風を受ける先頭を順に入れ替わるという紳士協定があるようです。
ラグビーでも、「ノーサイド」という言葉が使われます。最近はラグビー発祥地のイングランドでも「フルタイム」という表現に替って来ているようですが、「試合が終われば勝利の側も敗者の側も無い」という崇高なラグビー精神を表す仕合終了の「ノーサイド」、せめて日本では使い続けて欲しいものです。
今回の冬季オリンピックでも、スポーツマンシップやオリンピックの精神はどうなっているの?と首を傾げたくなる場面があったのは残念です。
ただ、この事を一選手の問題として片付けてしまうのもどうかな?という思いがして仕方がありません!
その国のスポーツ団体の姿勢が選手の行動として表面化しただけのような気がします。
国の品格が問われているのでは!
今回もドーピングや政治利用かなと思わせるような場面がありましたが、これからも「平和の祭典」とも言われるオリンピックが国や人種、宗教の垣根を越えた純粋なスポーツの祭典であり続けて欲しいものです。
「SUNSHINE ON MY SHOULDERS」
ジョン・デンバーの「太陽を背にうけて」(SUNSHINE ON MY SHOULDERA)は、高原なんかを車で走っている時に聴くのには最高の曲です。
「太陽の光を肩に浴びると、幸せな気分になる」
「太陽の光を目にすると、涙が溢れてくる」
「太陽の光を感じると、いつも元気が出てくる」
なんと素敵な歌詞でしょう!
自然の風に吹かれている時なんかは、この歌に酔ってしまいそうな感じになってしまいます。
「カーペンターズ」と共に「ジョン・デンバー」は、私の青春時代の歌、40~50年位前ですが、今、改めて聴いても古さを全く感じさせません!
ジョン・デンバーと言えば「TAKE ME HOME COUNTRY ROADS」(故郷へかえりたい)が、特に有名ですが、私はスローテンポの「太陽を背にうけて」と「MY SWEET LADY」が大のお気に入りで何度聴いても飽きません。
彼は、世界の飢餓に対する組織(Hunger Project)の創設者の一人となって、死ぬまで組織に貢献したそうです。
ただ、有名なアフリカの飢餓救済キャンペーン「ウィ・アー・ザ・ワールド」への参加は断られたようです。
自らが自伝で語っている薬物使用や不倫、元妻への暴力が断られた理由だったのかも知れません。
しかし、彼の作る親しみやすい曲調と自然や人への情感溢れる歌詞はストレートに心に響いてきます。
日本の車市場「閉鎖的」?
2月21日、アメリカのトランプ大統領は、議会に提出した大統領経済報告で「米国は日本の自動車市場が全体として閉鎖的であることに強い懸念を表明してきた」と日本を批判し、米国からの輸出を妨げる相手国の貿易障壁を取り除くとの決意を改めて示したそうです。
これに対し、日本の経団連(榊原定征会長)は、22日、トランプ大統領の日本の自動車市場が閉鎖的との懸念に対し、はっきりと「日本の自動車関税はゼロで、市場はオープンだ」と反論しています。
併せて、日本では欧州車が売れている一方、米国車が売れていない事について「これは消費者の選択だ。競争で負けた人がルールがけしからんと言うのは通らない話だ」と、米国の動きを牽制しています。
私は、経団連の主張に合理性を感じました。
国際社会においてアメリカは日本の重要なパートナーですが、日本はアメリカの言う事には何でも反論しないでついて行くのかな?と思ってしまう事があります。
是々非々をはっきり主張する今回の経団連会長の発言は、真のパートナーシップを育む上でも重要な事のように思えます。
「核兵器」や「銃規制」で大きな論議が起こっているアメリカですが、世界の平和に向けて日本はアメリカに対して政治的な面でも是々非々を通してもらいたいものです。
アメリカの高校で起きた銃乱射事件で、トランプ大統領は教師が銃を持てばよいと発言しています。また、小型の戦場で使う核兵器の配備を拡大していく方針を明らかにしているアメリカですが、世界平和に向けた日本の対応は、誰もが納得できるような一本の筋を通して欲しいものです!
ナポレオンと「コーヒー」
最近は、何時ものコーヒーショップでブレンドのストロングを飲みながら、店に置いてある「珈琲の世界史」(講談社現代新書)を読むのが日課です。
親書で250ページ位でが、もう半分位まで読みました。
ちょびちょび読めば、後1~2週間は楽しめそうです。
今日読んだ所に「ナポレオンとコーヒー」の記述がありました。
筆者曰く、「コーヒーに最も影響を与えた歴史上の人物」は、かのナポレオンだったようです。
カフェ・ド・フォワでの演説で口火を切ったフランス革命により絶対王政が幕を閉じましたが、革命思想が自国に波及する事を恐れたオーストリアやイギリスの周辺国が対仏で同盟を組みフランスに攻め入った時活躍したのがナポレオンでした。
ナポレオンは、対仏同盟軍を破りヨーロッパ大陸全体を勢力下に納め、海を隔てたイギリスに対してはヨーロッパ大陸を封鎖し、経済的にイギリスを追いつめようとしますが、これでヨーロッパでは砂糖とコーヒーが不足したようです。
特にコーヒーは代用品が無く深刻なコーヒー不足に陥ったようでした。
コーヒーを初め多くの輸入品が途絶えた影響は、イギリスよりも大陸諸国の不満を募りナポレオンの失脚を招いたとされていますが、彼が一連の戦争と混乱がコーヒーの輸入ルート変え、結果的にヨーロッパ全体にコーヒーが普及していったようです。
ナポレオンもコーヒーが好きだったようですが、晩年、病気のため医者からコーヒーを止められ、懇願してもスプーン一杯のコーヒーも飲めなかった英雄の逸話が興味深かったです。
英雄と言えば「ベートーベンの交響曲3番(エロイカ)」、国民のヒーローとも言える英雄「ナポレオン」の為に作ったものらしいですが、ナポレオンが皇帝になった事に激怒したベートーベンが「彼も俗物に過ぎなかった」と言ってナポレオンへの献辞を破り捨てたという逸話があります。
このベートーベンも大のコーヒー好き!毎朝自分でコーヒーを淹れていたようですが、正確に60粒数えて豆を挽いていたと伝えられています。
ベートーベンが聞けば激怒するかも知れませんが、交響曲3番の副題が「エロイカ」では無く「ナポレオン」に可能性も否定できません。
それにしても、「ナポレオン」と「ベートーベン」がコーヒーで繋がっていた!(こじつけですが)
なにか、新しい発見をした思いがしました。
癒し系CD「image」
20年近く前に発売された、癒し系CDアルバム「image」を久し振りに聴いています。
情緒(感動)とリラックスを表現したコンピレーションアルバムですが、人気があるのか、2000年の発売からNo.18まで続いているようです。年に一枚新盤が発売されている計算になります。
私が今聴いているのは、最初に発売されたものですが18年前の物とはチョトびっくりです。
有名なテレビ番組のテーマ曲が多く入っていますので、「どこかで聴いたな?」といった具合で親近感があります。
「情熱大陸」テーマ曲、サントリー「ローヤル」CM曲、「映像の世紀」テーマ曲、「世界遺産」テーマ曲、「地球に乾杯」テーマ曲、映画「タイタニック」テーマ曲、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」テーマカヴァー曲・・・
テレビで流れる有名なテーマ曲のオンパレードです。
知らない曲を聴いているのと違い、聴き覚えのある曲ばかりですので「あ、知ってる」とばかりに脳が刺激されますので、聴いていても飽きません。
癒し系のCDは、ただ美しいメロディーの音楽が流れているだけという印象がありますが、このCDは違います。
「情熱大陸」や「映像の世紀」なんかの内容の濃い番組の音楽ですから、演奏もただ美しいだけでなく、しっかりしていますし迫力も十分です。
葉加瀬太郎(ヴァイオリン)の演奏も、このアルバムにピッタリはまっているようです。(葉加瀬のヴァイオリンは日頃聴きませんがこのアルバムの演奏は好きです)
加古隆の「パリは燃えているか」の曲も聴いていると「映像の世紀」の場面が甦りバックに歴史を感じさせるような響きを持っています。
18年前に作られたコンピレーションアルバムの傑作!
聴いていて飽きません。
飼い主を盾にする「日本犬」
「日本犬」「柴犬」と聞けばほとんどの人が「忠犬ハチ公」が頭に浮かんできます。「飼い主に忠実」とか「一生一主」とか、飼い主のために命を捧げることさえも厭わない犬というのが「日本犬」のイメージではないでしょうか?
しかし、どんなものにも例外というのはあるもので、我が家の凡犬も例外の一匹のようです。
我が家はマンションなので散歩に行く時にエレベーターに乗らなくてはなりません。
ドアを出て、まず廊下を真っ直ぐ突き当りまで歩いて、右に曲がった所にエレベーターホールがあります。
凡犬はドアを出るといそいそと家内の前を歩きます。(本当は犬を前に歩かせてはいけないのですが、家内は何度言っても犬の好きなように歩かせます)
そして、曲がり角の近くに来たとたん歩く速度を落として家内の横に並び、曲がり角では完全に家内の後からついて行くというのが何時ものパターンです。
廊下の柵(塀)は犬にとっては見上げる高さ、曲がり角では向こうに何があるのか犬には全く見えません。
曲がり角の先が見えない不安からか凡犬は曲がり角で決して前に出ようとはせず、人間を先に行かせて自分の身を守っているようにみえます。(毎回ですので確信犯です)
以前にも宅配便の配達員の方が来られた時、たまたま家内と一緒に外に出てきた凡犬が配達員の方に「ワン ワン」と吠えました。
めったに吠えることのない凡犬、とても珍しい事です。家内は「いくらビビりと言えどもこやつも犬の端くれ、飼い主を守ろうという気持ちの表れか」と思ったそうですが、よく見てみると家内の後ろに隠れながら人を盾にして吠えていたのだそうです。
他にも色々盾にされた事があるようで、家内は「飼い主を犠牲にして身を守る柴犬なんか聞いたことないわ」と怒っていました。
それでも「可愛い 可愛い」「日本一や」と言って甘やかしています。
家内はよく「こんな子に育てた私が悪いと思わんなん仕方がない」と義母に言われていますが、こんな凡犬に育てあげたのは家内のようです。
そう考えると凡犬も少し不憫にみえてきます。
鋭い目つきで真剣な顔をするのは、おやつやフードを貰う時だけです!
究極の劣勢遺伝を感じさせる凡犬を見ていると秋田犬や柴犬、紀州犬・・・飼い主に忠実で道を究めた武士のような凛々しい日本犬にチョッピリ憧れてしまいます。
今も凡犬は、暖房の効いた部屋の座布団で寝ています。
名前を呼んでも聞こえない振り!
頭を撫でても態勢に変化なし!
食い物の気配が無いと動こうとしません!
それでも日本犬か!
「柴犬」と暮らしながら何時も「日本犬」に憧れているオッサンです。
「大山崎山荘美術館」
京都府の大山崎山荘美術館は、小さな落ち着きのある美術館といった印象です。
特にモネの「睡蓮」は、この美術館を代表する展示品でもあり、「睡蓮」を目当てに来館する人も多いようです。
街(都市)の中にある美術館は、現代的な建物の中に多くの美術品が納められていますが、この美術館は違います。
電車を降りて30分位歩いてという場所ですが、周りに緑が多く隠れ家的な風情が魅力です。
実業家の加賀正太郎が昭和初期に建物や庭園・道路・家具を含め全て自分の好みに合わせた山荘風の美術館を開館したので、全てが英国風にしっかりとセレクトされ落ち着きがあります。
以前訪れた時にも、木のフロアーや階段を歩くだけで懐古趣味をかきたてられたのを覚えています。
美術館のコレクションの中核は、アサヒビール創業者山本為三郎のコレクションですから、これもセレクト物です。
民芸運動に賛同していましたので、河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉、棟方志功、芹沢銈介等、民芸運動を支えた作家の作品が所蔵されています。
私も「河井寛次郎展」に惹かれて行ってみたのですが、さすがに河井の作品は力強く大胆で、その迫力は際立っていました。(でも一般の家庭で使えるような代物ではありません)
加えて、山荘で緑の景色を眺めながらの「アサヒの生」は絶品でした!
有名なクロード・モネの「睡蓮」、安藤忠雄設計の地中館に常設展示されています。
さすがに「睡蓮」の前には人だかりが出来ており、ゆっくり止まって観賞する事は出来ませんでしたが、その隣に展示されていた「日本風の太鼓橋」はゆっくり観る事が出来ました。
絵の事は全く分かりませんので「睡蓮」を見た時には、綺麗な絵だなといった程度の印象でしたが、「日本風の太鼓橋」の前では歩みが止まってしまいました。
絵具がうごめいているようで、否応なしに迫力が伝わって来ます。
正直言って「睡蓮」を観るより「日本風の太鼓橋」を観て、初めてモネは凄いなと思ってしまいました。
改めて、ネットで検索してみましたが、やはりこの「迫力」は美術館に行かなければ味わえないようです。
私にとっては、油絵の凄さを感じた貴重な体験でした。