「わが意を得たり!」
以前、友人にお世話になったお礼として陶磁器をいくつか進呈した事がありました。
陶磁器と行っても、小鹿田や有田・京焼・織部・・・なんかで、近くのお店で買い求めた雑器です。日常使いですから安価なものですが、何しろ何十年も前の物ですので今では手に入らない物もあります。
喜んで持って帰った友人が、後日、「一点だけは母に取られました」「この皿を見ていると元気が出て来る」と母に言われたら置いて行くしか無かったです。
そんな報告を受けました。
小鹿田焼の「飛び鉋」、20~30センチでカレーを食べるのにピッタリの大きさの皿です。
80歳位のお母さまに「元気が出る」と言われたら、ダメ!と言えないのは当然の事ですが、改めて器の人の心を動かす「力」に感心させられました。
もともと小鹿田焼は、何十年も昔ながらの伝統(技術)を守り続けている素朴な焼物です。
綺麗で繊細とは程遠く絵付けも全くありません。日常使いですから一品物で無く大量に造られていますので、「刷毛目」「飛び鉋」なんかは、繰り返し同じ文様を造っている職人さんの体に染み付いた熟練の技が生み出した物です。
そんな雑器が人に元気を与える力を持っていると言うのは驚きです。
改めて雑器の良さに気付かされました。
私自身、絵付けの巧妙な器や綺麗で華やかな器よりも、素朴で地味で落ち着きのある器の方が好みですので「わが意を得たり」と多いに納得しました。
当の友人は、これまで少し派手目の器が好きだったようですが、我が家から行った器を使い始めて「人の好みの器を使うのも良い事ですね」「頂いた器は料理が映えます。料理が負けるような事がありません」と喜んで頂いています。
これも「わが意を得たり!」、益々鼻高々のオッサンでした。