堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

理屈は後から付いてくる

先日、アイべックスのアウターを手に入れました。

アウトドアのお店で話をしていましたら、「アイべックスは今後入荷が無くなります。」と心をくすぐる話をされました。

 

商品が沢山売れると、製造業者は生産を拡大するのが一般的ですが、アイべックスは品質低下を恐れ販路を縮小していくようです。

 

メリノウールで有名なアイべックスですが、元々合成繊維よりも天然素材のウ―ルが好きでしたので大きく心を動かされました。

 

しかし、問題は家内!「同じような物ばかり買ってどうするの」と厳しい声が確実に聞こえて来ます。(今まで何回聞いたことか・・・)

 

「もう買えなくなる」「預り犬の世話のお礼という事で」「最近何も買っていない」・・・

あの手この手で「理屈」を付け、ようやく手に入れました。

「理屈は後から付いてくる」をいつも実践しています。

 

私のレベルでは「言い訳」、政治家なら「天下国家のため」という事になるのでしょうが、政治家や行政やが「天下国家」を語る場合は、特定の団体や大きな力になびくようなことは決してあってはなりません!

最近のニュースを見るにつけ、国民からかけ離れたところで「天下国家」が語られているようで、少し寂しい気持ちになってしまいます。

 

「加計問題」にまつわる論議でも、「規制緩和」に向け岩盤規制に穴をあけること全面に出され、加計問題にまつわる「行政の公平性」は、二の次にされているような気がしてなりません。(政府の答弁に真の「天下国家」が感じられないのは残念です)

 

規制緩和」と「行政の公平性」とは全く別のものです。

規制緩和は聖域を設けず推し進める必要が有るのは論議の余地は無いと思いますが、岩盤にあけた穴、特区のルールは、誰にも公平に機会を与えられなければなりません!

「公平性」は行政の基本であり、民主主義の原則とも言えます。

 

そもそも「規制緩和」が進まないのは、行政の本気度が不足しているからのような気がします。

極端に言えば、支援団体の意に反するようなことでも「天下国家」のためには、推進していくような姿勢が無ければ「民主主義」なんか絵に描いた餅でしかありません!

「民主主義の危機」と言われる所以です。

 

さて、私の「もう買えなくなる」に正義はあるのか?微妙なところです。