堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

バトル!「衣替え」

今日は連休を利用しての我が家の衣替えをしました。(といっても私はちょっと手伝った程度です)

 

ゴールデンウィーク後半、何も予定が無かったので整理整頓を兼ね衣替えをしようということになり、クリーニングから返ってきた山積みの冬服などが和室に山積みにされていましたので、そこから家内はブーブー言いながら衣替えを始めました。

 

ついでに着なくなった服などを処分、「これはもう着てないよね?」「これももう要らないのでは?」と昔着ていた服を見つけては私に処分して良いか聞いてきます。

その度に私は「いや、それはまだ着れる」「それも、もう今では売っていないから」と渋るのですが、「いくらもう買う事ができへんって言っても、着ないんだったらゴミと一緒やから」と手厳しい言葉が返って来ます。

 

最近はブランドの服などを買い取ってくれるお店があるので、幾らでも良いから買い取ってもらえと迫ってきます。

冷蔵庫の整理では、私が捨て役になるのですが、服には思い入れが有り捨てることが出来ない私は防戦一方です。

 

ユニクロGAP等、量販店で買った物は飽き早くて簡単に手放せるのですが、時間をかけて選んで、お金もそこそこ出したお気に入りは「着ないかも・・・」と思っても手放すことが出来ない性分です。(貧乏性?)

 

しかし今回は「次の衣替えの時までに処分するか決めておいて。どうせ着ないのなら知らない内に処分しておきます!どっちみち処分しても分からないやろ!」と家内に宣言されてしまいました。

 

確かに、着ないのだったら・・・とも思うのですが、やはり思い入れの有る服だから許して欲しいな・・・と思いつつ、収納ボックスの下の方に捨てられそうな服を無理やり押し込んだオッサンでした。

 

見付かりませんように・・・

「殺処分ゼロ」の定義

2013年度に13万匹弱だった犬猫の殺処分数が16年度には5.6万匹に減っているようです。

6年前に改訂された「動物愛護法」では、犬猫の殺処分が無くなるよう殺さずに譲渡に努める義務が都道府県に課せられた結果、42の自治体が「殺処分ゼロ」を目指して活動した結果のようです。

 

環境省は、今年度改訂予定の「動物愛護に関する指針」に「殺処分ゼロ」の定義を明確にするようです。

今までは、自治体から譲渡された人が、噛まれたり感染したりしないよう譲渡対象から外された犬猫や保護中に死んだ個体も殺処分数に入っていたため完全に「殺処分ゼロ」には出来なかったようですが、定義の見直しで「殺処分ゼロ」の自治体が増えてきそうです。

 

しかし、今回の指針改定は安易な飼育放棄に対する抜本的な対策とは程遠いものといえます。26年度に殺処分されている犬猫の内、病気や攻撃性があり「譲渡が適切でない」されている犬猫は1.6万匹に達するようですが、この数を殺処分にカウントしないというものです。

 

問題の多い生体販売、動物愛護団体への安易な譲渡、虐待や飼育放棄という飼い主への罰則、悪質ブリーダー対策・・・愛護センターに持ち込まれる個体数の抜本的な軽減策がなにも盛り込まれないままの取り組みは、私には単なる数合わせとし思えません!

 

第一、攻撃性の有無についても定義がなされていません。実際、保健所等で矯正出来ないワンコでも優秀なトレーナーさんの居る団体に譲渡されると適切な躾により良いワンコになっている事もしばしばです。

病気のワンコでも、例えばフィラリアなんかは余程重症で無い限り根治可能です。

 

保護団体に譲渡される犬猫は少なくなっても、実際の処分数は増えてしまっているという事態も十分に予想されます。病気や攻撃性を理由に殺処分数を増やしてもカウントされないのですから数合わせは簡単です。

このままでは、日本は何時まで経っても「ペット後進国」の汚名は拭えません!

 

ドイツでは、「犬税?」があるようです。(そのお金でシェルターなんかが整備されています)ワンコはシェルターかブリーダーから迎えるようですが、日本のペットショップのような生体販売はありません。というより生体販売は虐待となり許されないようです。

また、初めてワンコを飼う飼い主は、ワンコと共に躾教室に通うのが基本中の基本という風潮もあります。その結果、公共交通機関やお店、レストランでもワンコと一緒というのには驚きました。

 

ペットショップの生体販売を即禁止という事は難しいようですが、少なくともペットショップが犬猫の販売時にハウスチェックをしたという事は聞いた事がありません。

どのような環境で飼われるのかチェックもしないで売れさえすればよいという姿勢は問題が多いといえます。

加えて、販売後も躾に十分なフォローを行っているショップは皆無では?

犬猫に対する「愛」が全く感じられない事は残念でなりません。

 

別にヨーロッパのようなペット先進国の真似を今直ぐにやれと言うつもりはありませんが、法や指針の改訂が数合わせではなく、少しでも実質的な「殺処分ゼロ」に近付くようにしてもらいたいものです。

このままでは、無責任な人間のために病気になったり攻撃的になった犬(猫)は、殺処分されても数字に表れず、「殺処分ゼロ」だけが増えていく危険性が出て来ます。

実態は変わらずに数字だけが良くなるというのは、私にはどうしても理解できません。

 

いくら病気や攻撃性があっても、殺処分は殺処分です。

病気や攻撃性のある犬猫を生むのは人間だということを忘れてはならないと思います!

シルヴェストリのドヴォルザーク

以前にも、私の好きなドヴォルザークの「交響曲第9番(新世界より)」に触れました。

最も有名なのが、ケルテス指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の1961年盤ですが、今聴いているのは、シルヴェストリ指揮、フランス放送管弦楽団の1959年盤です。

 

この曲は、ケルテスをはじめスメタナ―チェク指揮(プラハ放送交響楽団)やクレンペラ―指揮(フィルハ―モニア管弦楽団)、アーノンクール指揮(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)、クーベリック指揮(ベルリン・フィル)、カラヤン指揮(ウィーンフィル)・・・

と名演が多くあります。(アーノンクールカラヤンは私の好みではまりません)

今、流れているシルヴェストリは、雑誌なんかの評価順でもベスト20位にも入らないような演奏です。

 

当初は、音質は悪く評価が低かったようですが、リマスターされ東芝EMIから発売されたCDは、見違えるように音質が良くなったようです。(私はリマスター盤しか聴いていません)

ドヴォルザークの土臭さが感じられる演奏は、人気No1のカラヤン盤よりシルヴェストリ盤の方が作曲家の思いを表現しているようにも感じられます。(ボヘミアの香り?)

 

ベルリン・フィルウィーン・フィルといった超一流の楽団の音に比べると、音が少し雑にも聴こえますが、あまり綺麗な音でまとまっているよりも、少し雑味のあるフランス放送管弦楽団のほうが、新世界(アメリカ)からのドヴォルザークの切なる望郷の念が伝わって来るようで好感が持てます。

 

演奏そのものはテンポ良くグングン進んで行きますので迫力満点です!

今は少しボリュームを押さえていますが、目の前でオ―ケストラが演奏しているような音量で聴くと、聴き終った後「フ―」とため息が出てしまうような文句の付けようの無い演奏に聴こえました。(約40分の演奏が短く感じました)

 

あまり知られていない演奏ですが、隠れた名演に出会い、ちょっと得をした気分になったオッサンでした。

やはり「草刈り」はキツイ!

昨日は、実家に帰っての「草刈り」でした。

5~6年前までは、「鎌(人力)」でやっていたのですが、知人から中古の「草刈り機」を5,000円で譲って頂き一気に楽になりました。(そう思っていました)

 

この前、実家に帰った時、隣は既に草刈りが終わっていましたので尻に火が付いたといった感じです。何しろ実家は国道に面していますので雑草が目立ちます。

 

長袖、長ズボンを穿き「草刈り機」を持ち出して刃のチップをチェック、概ねチップが残っていますので未だ使えそうです。

サングラスと帽子は必須です。帽子がないと飛んだ土や砂で頭がザラザラ、サングラスで飛んでくる小石や砂粒から目を守ります。

混合ガソリンは、古いのはエンジンが始動しない時もあります。そんな時には新しいのと混ぜて古い燃料を使い切るようにしています。

 

ショルダーベルトに草刈り機を引っかけ草刈りスタート!去年使った刃ですが結構気持ち良く切れてくれます。(何時も初めはルンルン気分でスタートします)

一回の給油で一時間弱作業しますが、私は二回が限度です。(歳かな?)

初めの頃は、軍手だけでやっていましたが2時間もすると草刈り機を握る左手がジンジンと痺れてきます。

今では、本体にタオルをまいて振動を緩和していますが、それでも2時間が限度です。(健康上も一日2時間位が良いようです)

 

今日は夏日!

一回目が終わると、体が火照ってしまってヤル気が削がれてしまいます。半分凍らせたスポーツドリンクで体の温度を下げ、食べ物でエネルギーを補給、たっぷりの休憩が必要な歳になったようです。

平らな所の草刈りは、姿勢が一定でそんなに疲れませんが、斜面や障害物なんかは、屈んだり足を曲げたりと結構疲れます。(ハンドル式でないのでましですが)

 

二回目が終われば、もうヤル気ナッシング!

一見、道行く車からも見苦しくない程度になりましたので仕上げは後日にしました。

実働2時間弱ですが、これが限界です。

 

1~2週間後に仕上げですが、直ぐに雑草が伸びてきますので夏場はこれの凝り返しです。

鎌で刈っていた頃に比べ格段に楽になったのですが、やはり「草刈り」はキツイです。

田舎に暮らす!

昨今、田舎暮らしが人気だと聞きました。

家内も定年退職した後は「庭が広い中古の一軒家を田舎に購入して、犬を好きに走り回らせながら片隅で野菜などを作って、綺麗な空気を吸いながら静かに暮らしたい」などと夢のような話を時々しています。

 

しかし、現実はなかなか難しいようです。

以前、沖縄に旅行した際に「定年後はこういう楽園みたいなところで暮らしたい」と家内の友人が現地で仲良くなった方に話すと、その方が「いきなり家を買ったりせずに、まずは家を借りてこちらで暮らしてみることが大事です。沖縄に移住してきた人の半数以上がまた本土に帰っていかれます。」と言われたそうです。

 

やはり現地の方とのお付き合いに戸惑われてという事が多いそうです。(結局最後の決め手は人間関係!私はお酒があまり飲めませんので沖縄は難しいかも)

沖縄に移住となると当然ご近所付き合いも必要になってきます。都会暮らしで近隣の人ともある程度の距離感を持って暮らしてきた方などは、沖縄の方のフレンドリーな距離感になじめずに都会に戻って行かれるそうです。

 

沖縄の田舎の方は、地域のつながりが密着していて、夜に鍵を掛けたりする事は無いようです。近所の方がおすそ分けなどを持ってくる時などは勝手に上がり込んできたりするのは当たり前、家に居るのに鍵を掛けたりしたら「なんで鍵なんか掛けてるの?」と不思議がられるようです。

移住者の方を親切に迎え入れてくれるらしいのですが、フレンドリーすぎて都会暮らしに慣れた人には「それはちょっと・・・」となってしまうとか。

 

片や、奈良の田舎の方に移住した家内の友人によると「地域の方が閉鎖的で仲間外れにされた」という事もあるようです。

彼女は慣れてしまって「このほうが楽ちんでいいよー」と今は笑って話してくれますが、最初の頃はちょっとした悩んでしまったようです。

 

旅行で行くと素敵に見える土地でも、実際に暮らしてみると「理想と現実のギャップ」というのが出てきます。

 

土地土地で風習やご近所との付き合い方も違います。田舎暮らしはとても魅力的ですが家を買ったりする前に、何度も出かけて情報を収集したり、その土地に知り合いを作るなどの土台作り無くいきなり行くのはちょっとリスクが大きいような気がします。

 

実は私も、落ち着いたらそんなに遠く無い田舎で、小さな音楽喫茶(ちょっと良い音のスピーカを置いて!)なんて事も考えますが、先立つものが有りません。

土地と家は安いレンタル、固定資産是も格安、車で2時間位でいける場所・・・

大変難しいですが夢は膨らみます。

六甲山「瑞宝寺谷道」

前夜までは、有馬から魚屋道(ワンコ連れ)か白石谷又は瑞宝寺西尾根にするか迷っていました。

予報では天気は晴れ、ワンコ2匹を連れてのんびり魚屋道を登るか、静かな白石谷を詰めるか、一度登った事のある瑞宝寺西尾根ルートのナイフリッジしようか前夜まで決めかねていました。

 

朝、6時半に起床、窓を開けるとピーカン!

よし、今日はゆっくりと尾根歩きという気分になり瑞宝寺西尾根に決めました。

一応、事故でも有ったらと思い家内にルート説明、2~3時頃には帰ると登山届の代わりに伝えて7時前に有馬の宿を出発しました。

 

瑞宝寺公園を抜けて、沢に降りそのまま登ると左に太鼓滝、このまま登ったのが間違いでした。

30分も登ると見慣れない堰堤が現れました。何処で間違ったのか分かりませんので、戻っても正しいルートに戻る自信がありません!仕方なく道を示す赤いテープを辿りながら沢を上へ上へと、梯子の掛かった堤を越えて行きましたが、道標(赤いテープ)に誘われてといった感じです。

ただ、尾根を登っていない事だけは確かです。(当たり前ですが!!)

 

途中、堰堤の上で小休止、粉末を溶いて冷凍庫で凍らせたドリンクでバナナとチーズ入りメロンパンを腹に入れ、靴紐を締め直し、温かかったので肌着を脱ぎ、地図と磁石で方向を確認し再び歩き出しました。(要は上に登って行くしか無いのですが)

 

今回は、体調も良くペースを乱さず気持ち良く歩けました。

持参したドリンクは、アミノバイタル(味の素)の粉末を水で溶いたものですが、これが優れ物です。疲れが軽減されているような気になりました。メロンパンもグッド!有馬のパン屋さん「イーゲル」でプレーンのメロンパンを買ったつもりが間違ってチーズ入り買ってしまったのですが正解でした。チーズのパワー助けてくれたのかな?

 

水の無い沢筋を上っていると、妙にゴミが多くなり車のタイヤまでが出て来ましたので、「おやっ こんな所に」と不思議に思ったのですが、程無く車の走る音が近くに聞こえてきました。木の階段を登り終えた所が六甲最高峰近くのドライブウェイでした。

 

一軒茶屋を過ぎ最高峰に付いたのが9時半頃でしたが、青空の下での煙草&ウィスキーは気分最高!

やはり、ピークでの一服とウィスキーは手放せません!スキットルに入ったウィスキーを一口飲むだけですが、これ程お酒が甘く感じられるのは、疲れた体で自然を満喫しているからか自己満足に浸ってしまいました。

 

結局、「瑞宝寺谷道」を登った今回の登山でしたが、六甲は登山道が多いせいかよく間違えます。

今回のように「尾根」と「沢」を間違えるのはちょっと酷すぎますが、知らないコースは一回で正しいルートを辿るのは難しいです。(私にとっては)

次に瑞宝寺西尾根を登る時には必ず太鼓滝を右に見て登ろうと反省しきりのオッサンでした。

無くなる「本屋さん」

家内が本を読んでいました。それも漫画ではなく小説だったので少し驚きました。

家内は最近、タブレットでネットばかり、本とは縁の無い生活していました。

以前はよく小説を読んでいたのですが、タブレットを持つようになってからは、本を読んでいる姿を見かけた事はあまり有りません。

 

しかし、先日タブレットを持たずに出勤、たまたま通勤カバンの底に入れてあった短編小説集を電車の中で読んだようです。

読み始めたら最後、どんどん話に引き込まれ職場に到着しても始業までの間、昼休み、帰りの電車内、と読み進んでしまったようです。

 

タブレットも動画を観たりする訳ではなく、もっぱらニュースやブログなどの記事を読んでいるのだそうですが、やはり目が疲れるのもあってネットで小説を読む気にはならないとの事です。

今では電車でスマートフォンタブレットを見ている人が圧倒的に多いですが、中には単行本を読んでおられる方も少ないですが見受けられます。(スマートフォンで小説を読んでいる方や勉強している方も居られます)

 

スマートフォンタブレットが悪いという訳ではありませんが、私なんかは、やはり通勤・通学電車の中での空き時間は「新聞か本」という感覚の年代です。

 

家内がネットで小説を読む気にはならないもう一つの理由が「小説を読んでいて紙をめくる感覚が無いとなんか変」というものだそうです。

分厚い単行本を読み進めていって、ページをめくった時に読み終わった紙の厚さを見ては「あぁ、ここまで読み進んだ」という感覚(読破感?)は本でしか味わえないのだと言います。

 

近くの駅前で何十年も営業していた本屋さんが4月一杯で閉店予定です。

以前は、電車に乗る人下りる人がひっきりなしに出入りしていて混んでいた店が、最近では立ち読みする人の数もめっきり少なくなって閑散としていましたから、仕方のない事です。全国的にも本屋さんの数が減っていると聞きます。

 

ネットで居ながらにして本を購入出来る時代ですので、本屋で立ち読みなんて事は昔話になってしまいそうです。

目的も無しに本屋に並んでいる書籍を眺め、時間を潰していた頃が無性に懐かしく思い出されてきました。

 

ネットにはない本の魅力、沢山並んだ本の中から見つけた一冊が今でも本棚に残っています。忘れられない本もあります。もう一度読もうと思っている本もあります。

本棚を見れば自分の辿ってきた道が思い出されます。これから行く道も見えて来ます。

 

ネットには無い本の魅力、今一度見直してもらいたいものです。