堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

「偉い人」

 「賢い人」と「偉い人」は、私には少しニュアンスが違います。

 「賢い人」は、物覚えが良く頭の回転が私より数倍早い人のような気がしますが、「偉い人」は自分以外の事(人)に思いを巡らし行動出来る人といった感じです。

 私が何時も散歩している公園で、毎日野良猫の世話をしている方が居られます。10年以上も前からの事なので当たり前のように思っていましたが、考えてみれば凄い事です!猫嫌いの方には理解出来なく余計な事に映るかも知れませんが、毎日餌をやり、病気の子が居れば動物病院に連れて行く、捕獲出来れば去勢・避任もするといった具合で頭が下がる思いです。

 「野良猫なんか放っておいたら」と思われる方も多いかと思いますが、とどのつまりは人間の気儘で捨てられた猫達です。全て捕獲して保健所に連れて行くのも一つの方法かも知れませんが、邪魔な物を殺してしまうより、私はこの方の取り組みが好ましく思えます。

 何の見返りも求めず黙々と猫の世話をされている姿を見ると、「偉い人」だなと感じ入ってしまいます。

 最近も、議員の暴言・暴行問題がマスコミを賑わしましたが、元官房長官の「ちょっと可哀想だなと思っている」「・・・あんな男の代議士はいっぱいいる」との発言には呆れるばかりです。私には「暴力団(反社会的勢力)」の世界の言動にも聞こえました。

 私には、野良猫の世話を毎日行っている男性の方が、余程「偉い人」に思えます。

奇跡のシンフォニー

 映画「奇跡のシンフォニー」は、ちょっとお薦めです。A級とB級の間位といった感じですが、音楽の使い方が絶妙です。クラシックとロックのコラボみたいな所がありますが違和感無く効果的に二つのジャンルの音楽が心地よく流れています。さすがに、アカデミー賞の歌曲賞にノミネートされた事が頷ける作品です。

 恋愛物と母子物を一緒にしたようなストーリーなので、より多くの層の人の共感を呼ぶように作られています。主演はフレディ・ハイモア、純真な少年の気持ちを素直に表現していましたし、共演のロビン・ウィリアムズも引き立て役に徹しているようで好感が持てました。

 ミュージカルは別として、音楽が効果的に(主役のように)使われている映画といえば、「トップガン」「オーケストラ」「007シリーズ」・・・というのが私の印象ですが、「奇跡のシンフォニー」は、クラシック・ロック・ゴスペル・・・といったジャンルの違う音楽が入り混じっています。オープニングはクラシック、エンディングはロックといった具合でしたが全く違和感を感じません!

 以外性といった物は無く予定通りの展開ですが、変に捻っていないせいか最後まで一気に観てしまいました。

 家内は少し涙ぐんでいました。

 「あんたもや!」という声が聞こえて来そうです。

マンゴー拾いと犬店長

 私達夫婦はハワイ(特にハワイ島)が好きで、家内は地図無しでもハワイ島なら大方の所には迷いもせず車で一っ走りといった具合です。

 ハワイ島での家内のお気に入りのオプショナルツアーが「マンゴー拾い」!ドライブ中にマンゴーの木を見つけると車を停め、下にマンゴーの実が落ちていたら拾うというものですが、オプショナルツアーと言っても家内がそう名付けているだけで、こんな貧乏臭いツアーを運行している会社など決してありませんのでご注意を!

 私は何時もこのツアーに強制参加させられ「観て来て!」言葉に促され、マンゴーを探しに行くパシリ役です。しかし、世の中そんなに甘くはありません。一個落ちていたら「ハッピー」といった程度です。二個も拾えばきっと一日中マンゴーの話をされる事は請け合いです。現地の人に聞いた所、ハワイでは道端に落ちている実を拾って持って帰っても罪にはなりません。(木に生っている物を取ったら犯罪です。)

 自然に落ちる実は木成りの完熟の物!美味しいに決まっています。(ブランドの宮崎マンゴーにも引けを取りません!多分?宮崎マンゴーは食べた事は有りませんので想像です。)

 この美味しいマンゴーは虫や鳥もしっかり狙っているようです。そう、マンゴー拾いは虫や鳥との競争なのです。「有った!」と思っても落ちてから時間が経った物はすでに虫や鳥が食べているものがほとんどで拾えるマンゴーはめったに有りません。

 しかし、完熟マンゴーなんて日本で食べたら一個何千円もする高級品!「大阪のおばちゃんの王道」を歩む家内はその高級品を拾って食べられるのが嬉しくて仕方ないようです。

 そんなこんなでマンゴーが一個しか拾えなかったある時、「仕方ないから買って帰るかー」と道端で農家が出している出店に車を停めたことがあります。(家で取れたマンゴーを売っている出店で安く買えます。)その家で取れたフルーツや野菜が道端に置かれたテーブルに並べられておりました。しかし、人が居ない?店員は椅子に座っている猫と、椅子の下に寝そべっている犬で人間の店員さんが居ません。

 店員さんがが戻って来る気配の無いまま待っていると一台の車が停まりアメリカ人観光客が二人降りてこられました。

 その人たちが店先で二言三言しゃべったとたん、それまで大人しく寝そべっていた犬が起き上がって「わんわん!!」とその人たちに向かって激しく吠えていました。店の人が来ないので諦めたアメリカ人が走り去るとワンコは吠えるのを止め、今度は私に近づいてきたのです。それも「お客さんどちらから?安くしとくから何か買っていってよ~」と言ってるかのように満面の笑顔と千切れんばかりに尻尾を振って・・・。リードで繋がれていましたので安心していたのですが、長~いリードでしたので結局ワンコが目の前に!飼い主は居ませんでしたので撫でる事はしませんでしたが、私には大層フレンドリーなワンコでした。

 この犬店長はガードマンも兼任していたようで、英語を喋る人=あまり信用できない、日本語を喋る人=善良な観光客と思いこんでいるようでした。

 結局、人が出てこなかったので何も買わずにそこを立ち去った私達でしたが、後から現地の友人に聞くと「そういう時は値札に書いてあるお金を置いて持って帰ればいいのよ」との事でした。

「日本の無人販売所と同じやり方で良かったのかー」と買わなかった事をス少し後悔しましたが、帰りに車でマンゴーを売りに来ていた屋台で大き目のマンゴーを四個($10)ゲットし安さに大満足の家内でした。

「ゲルニカ」

 「ゲルニカ」といえばピカソの代表作として余りにも有名な絵画です。今まで、私はニューヨーク近大美術館に保管されていると思っていたのですが、現在はスペインのソフィア王妃芸術センターが所蔵しているようです。

 私にとって大抵の絵画はコ―ピーでも十分に楽しむ事が出来ます。(正直な所、オリジナルか複製か解らないオッサンです。)

 しかし、この「ゲルニカ」だけは原画(壁画)を見てみたいと思わせてくれます。ドイツ軍のゲルニカ(スペイン)に対する無差別爆撃を題材とした此の絵に込められた「反戦」や「抵抗」の思いは、戦争に明け暮れた20世紀を象徴する絵画ともいわれています。349センチ×777センチの大作ですので、オリジナルなんか見れば、押しつぶされそうな気持になってしまうでしょう!なにせ、題材が題材ですから仕方がありません。

 今日、ゲルニカは名作中の名作として不動の地位を占めていますが、発表当初の評判は写実性の無さゆえに余り評判は良く無かったようです。有名なフランス人建築家のル・コルビュジエは「ピカソの壁画は醜いばかりで、観る者の心を萎えさせる」と酷評しています。20~30年は評価が低く不遇の時代を送ったようですが、徐々にピカソのメッセージが人々に理解されていったようです。

 今では、数え切れない程多くの人々が此の絵を見て、「戦争」の恐怖を肌で感じている事は間違い有りません。

 しかし、未だに悲惨な「戦争」や「無差別殺戮」が繰り返されているのをみると、私達は「歴史の教訓を余り生かしていないのでは」と思ってしまいます。

 私には原画を見る術はありませんが、何時の日か此の人類の遺産が日本に来るような事があったら、何を置いても飛んで行きたいです。

和太鼓

 今朝のワンコ連れの散歩は、ちょっとコースを変えて近くの小学校へ足を伸ばしました。といっても十分もかからない距離です。朝の10時から地域イベント開催されており、「地域のパン集合?」といったコーナーを目当ての少しばかりの遠出でした。

 小雨模様の天気でしたが、会場に着くと結構な人出でしたので、ワンコ2匹と私は中に入らず外で待っていました。

 近くで山車が出番を待っていました。青年団のハッピを着た若衆が山車の周りで待機し準備をしています。

 その時、突如、和太鼓の「ドン ドン」という音が鳴り響き、ワンコが驚いて飛び跳ねる、私はリードを引いてワンコを落ち着かせるといった状態でしたが、落ち着いて和太鼓の音を聞いてみると音が腹に沁みて来ます。山車に乗っている太鼓ですので、そんなに大きくありません!本番前の音慣らしですから、目一杯叩いていません!それでも十分に肌に「音圧」が伝わって来ます。

 タオ」「鼓童」「倭(ヤマト)」「鬼太鼓座」・・・有名な和太鼓集団が多く有りますが、演奏を見ていると3尺(114cm)を越える大太鼓の音は迫力満点です。山車に乗っていた30~40センチ位の太鼓ですら遠く(500m位)から聞こえていましたが、3尺以上の大太鼓は・・・是非一度、実際に聞いてみたいと思ってしまいました。

 和太鼓は日本古来の楽器で、洋楽器のような音階が無い、単調な音ですが迫力は洋楽器を上回るものがあります。奏者が全身の筋肉を使い汗だくになって太鼓をたたく姿は和太鼓ならではの光景です。(太鼓をたたく若衆の腕の筋肉が盛り上げってました。)

 改めて和太鼓の凄さを実感した一時でした。

味覚狩り

 私の実家には小さいながら庭があり、亡くなった父親の趣味で実のなる木が何種類か植わっています。

 父が亡くなった今、それらの収穫は私達夫婦の役目となっていますが、味覚狩りと言うと何を連想しますか?

 春なら「いちご」、秋なら「ぶどう」「なし」「みかん」・・・遠足などで体験された方も多いかと思います。

 私も職場のレクレーションでイチゴ狩りとみかん狩りに行ったことがありますが、新鮮で美味しい苺やみかんの食べ放題はとても楽しかった事を覚えています。

 しかし、実家の庭の木に生った実を収穫するのは味覚狩りの楽しさとは全く違い「苦行」の一言です。

 庭には「イチジク」「柿」「梅」の木がありますが、少し前は「梅」が最盛期でした。

 先日「梅」の実を採ってきましたが一本の木の梅の実を全部採りきるのはとても大変です。一般の「味覚狩り」は楽しい事の方が多いのですが、「梅」採りとなれば、長袖シャツ・帽子・首に巻くタオル・軍手は必需品!なぜなら、毛虫が這った後に毛が残っており、それらが落ちてきて身体に付くと後から湿疹状に赤くなり痒くなるのです。(実家の木は農薬等を使っていないので虫が沢山付きます。完全有機農法?)

 正直、梅など取りたくないのですが、義母が梅酒・梅酢・梅干などを毎年作るので「絶対取って来て」と厳命が下ります。去年なんかは、翌日に湿疹・痒みが出て家内は布団にダニが湧いたかと大騒ぎしました。

 そして梅の季節が終わってやれやれと思っていたらすぐに「イチジク」の季節です。

梅や柿はほぼ一度に食べ頃になるのでいいのですが「イチジク」はやっかいです。一度には赤く熟さないので3~4日おきに収穫しなくてなりません。大体一ケ月はそれが続きます。加えて収穫後の持ちも悪いのですぐ消費しなくてはなりません。

 家内は去年あたりから「イチジクのコンポート」を作っては大量のイチジクを年中食べられるように加工していまが、意外と人にあげても好評なようで、だいぶ調子に乗っているようです。

 「柿」は、ほぼ一度に収穫できるのですが、なにせ「渋柿」、採った後に焼酎で渋抜きしなければ食べられません。(干し柿にする技術を持っている人は渋抜きは不要です。)

 毎年一度は家中柿が入った袋だらけになります。柿とイチジクは量が多いので知り合いにもお裾分けするのですが加工するのが面倒な人には断られてしまいます。

 果物はとても美味しいもの、味覚狩りなどで自分が食べる分だけ取って食べる分にはとても楽しいものですが、一本の木全部を取り尽くすというのはとても大変なものなのだと父親が亡くなって初めて解ったオッサンでした。

サバイバルゲーム

 家内の職場では一年に一回「遠足」と称して日帰り旅行に出かけます。その部署の社員は絶対全員参加で転勤して行った社員にも声をかけバスを一台チャーターするという、結構本格的です。社員の家族も参加可なので人数は総勢30名くらいになるそうです。

 毎年「珍しい物を食べる」と言っては獅子鍋やクエを食べに行ったり、「日本の文化を知る」と言って和菓子作りに行ったりと色々な事を皆で楽しんでいるそうです。

 先日の遠足は、「サバイバルゲーム」だったようです。

 全員初心者、サバイバルゲームのサの字も知らない素人集団が挑戦するのですから、雨でも大丈夫な室内で初心者向けで銃もゴーグルもレンタルできる店を選んだようです。

 下は7歳から上は58歳までの男女30名でゲーム開始!ルールは単純、玉が当たったらその人は退場!二つのチームに分かれて先に全員いなくなったチームの負けです。

 最初は「こんな狭い場所でやり合ったって本当におもしろいんか?」と懐疑的な人も居たようです。(家内もその内の1人です。)しかも色んな障害物が置いてあるフィールドの中は照明も少し暗く、勿論見通しもききません、何処から敵が出てくるかわからないので最初は動くのが怖かったらしいです。

 しかし、最前線で打ち合いが始まるともう止まらない!いつの間にか全員夢中になって戦いとなっていました。(因みに、子供が銃を持って飛び出してくると一瞬撃つのを迷った人も居たそうです。「とてもシュールな光景だった」と撃つのを迷った人は言っていました。)

 下は7歳から上は58歳まで、30人の男女が歳も忘れて子供のように遊んだそうです。たった一時間でしたが大人も子供も「とても楽しく」そして「ものすごく疲れた」らしいです。

 「サバイバルゲーム」と言うと「戦争を遊びに使うなんてけしからん」と思われる方もおられるでしょうが、単純に子供の頃の遊びの延長として年齢を問わずに遊べるゲームのようです。

 子供達の反応も最高で、帰りのバスが来るのを待つ間「ねーねー、こんな時間あるんやったら鉄砲しようやぁ~」とごねる子も!

 もちろん帰りのバスの中では全員熟睡だったようです。