堺市の変人

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R・シュトラウス「アルプス交響曲」

リヒャルト・シュトラウスといえば、交響詩ツァラトゥストラかく語りき」が余りにも有名です。

2001年宇宙の旅の最初の導入部に使われ、この映画と言えばヨハン・シュトラウスⅡの「美しき青きドナウ」と併せ、この「ツァラトゥストラかく語りき」が、これ以上は望めないという程効果的に使われています。

 

この曲のCDでは、カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニーの1983年盤がとても聴き易く何の不足も感じません。

演奏が名門ベルリン・フィルですから当然ですが、盛り上がる所はきっちり盛り上がり、押さえる所はきっちり抑えるというお手本のような演奏です。

 

曲のイメージと指揮者・楽団が上手くマッチしているように感じました。(ベートーベンでは少しもの足りなさが残るかも?)

 

R・シュトラウスでもう一曲忘れられないのが「アルプス交響曲」です。

実は、私はジャケットの山の写真に惹かれて購入しました。(いわゆるジャケット買いです)

しかし、聴いてみると、これも「ツァラトゥストラかく語りき」と同様に曲のイメージと演奏がピッタリはまっています。

同じくカラヤン指揮でベルリンフィル(1980年録音)です。

 

このCDを購入した頃は、私自身山登りに夢中でしたので「わが意を得たり」といった気持で聴いたものでした。

「日の出」の演奏は、まるで遥か遠くの山々から日が登るのが目に浮かぶようにも感じたものでした。

カラヤンは、そんなに好きな指揮者ではありませんが、R・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラかく語りき」と「アルプス交響曲」は、どうしてもこれらのCDに手が伸びてしまいます。

 

ベートーベンの第九ならフルトベングラ―ン、第六ならワルターショパンのピアノ協奏曲一番はアルゲリッチと、この歳になると好みが固まってしまいますので、CDも同じ物に手が伸びてしまいます。

何百枚とCDを持っている知人に聞いても同じような事を言っていますので、特別な事では無いようです。

 

カラヤンの演奏で一つ気になるのは、初めから終わりまで計算された演奏のように感じる時が有る事です。「演奏を感じてしまう」というと変な表現ですが、例えばフルトベングラ―のバイロイト盤なんかは、ただ、音楽だけが聴こえて来て指揮者や楽団の演奏といったものが見えなくなってしまい全く「演奏(奏者)」を感じさせない凄い瞬間があります。

 

多くはありませんが、このような演奏に触れると、オーケストラも演奏をしている事を忘れ、指揮者も指揮をしている事を忘れる瞬間が有るのでは?と思ってしまいます。

 

歴史に残る名盤(名演)には、そのような計算を越えた要素が有るような気がします。

ジャクリーヌ・デュ・プレの演奏するドヴォルザ―ク「チェロ協奏曲」を聴いてみたくなりました。