堺市の変人

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鬼の眼「土門拳」

土門拳は、明治42年(1909年)に生まれ平成2年(1990年)に没しています。

正に大正・昭和の激動期を生きた写真家ですが、彼の写真は時代をそのまま、なんの演出(装飾)も無しに切り取っています。

 

「こどもたち」「文楽」「東京」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「風貌」「古寺巡礼」・・・、

「古寺巡礼」は、カラーですが、それ以外は全て白黒写真です。

 

芸術を志向する写真家は、土門のような写真は絶対に撮りません!

被写界深度が深く(後ろから前までピントが合っている)、人物のシワまでハッキリと!

被写体の綺麗な所はもとより、醜い所も克明に捉えています。

 

どこにも有るような風景や人の営みを切り取ったようなリアリズムに徹した写真です。「こどもたち」の写真をみると、何処にでも居そうな「悪ガキ」がカメラを気にする事も無く自然な風体で笑っています。

正に昭和の一コマが切り取られています。

 

「地方点描」なんかも、古き良き時代の日本が、庶民の生活を通して切り取られており、恐ろしい程のリアリズムを感じます。

 

戦前・戦後に活躍した写真家、木村伊兵衛と双璧をなすようですが、木村は被写界深度が浅く、人物にだけピントが合うような優しい写真が持ち味です。片や土門の写真は全てにピントが合い被写体が裸にされるような凄さを感じます。

 

ポートレートの「風貌」なんかは、梅原龍三郎岡本太郎川端康成北大路魯山人幸田露伴志賀直哉島崎藤村高村光太郎谷崎潤一郎永井荷風三島由紀夫吉永小百合和辻哲郎・・・

まさに、大正・昭和の歴史そのままといった印象です。

 

土門の白黒写真は観ていると色彩を感じてしまいます。かえって白黒の方が被写体に真の姿を捉えているように思えて仕方がありません!

これ程の巨匠でも「いい写真というものは、写したのでなくて、写ったのである。計算を踏みはずした時だけ、そういういい写真が出来る。ぼくはそれを、鬼が手伝った写真と言っている。」とは驚きです。

 

「古寺巡礼」の「法隆寺東院夢殿行信僧都坐像」(昭和35年)、カラー写真ですが、千年以上の時を越え僧の息づかいが聞こえてきそうです。