堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

信仰の山とスポーツ登山

最近、「にっぽん百名山」や「にっぽんトレッキング100」といった番組をよく見かけます。街に居ながらにしてスポーツクライミングの楽しさを味わえる「ボルダリング」も結構人気が有るようです。

 

私も山やハイキングは、好きな方ですので気になる番組はダビングして残しています。

高校時代から槍・剱・穂高に出掛け、一時は仕事を辞めて山小屋で働こうと思った位でした。

でも、若い頃の山登りは、山頂に立ったり岩壁をよじ登る事だけ考えていたような気がします。(余裕が無かったのかな?)

 

古来日本人は、山はあくまで「信仰」の対象としてきました。

映画「剱岳点の記」でも、陸軍の測量隊が初登頂を果たした時、山頂に錆びた鉄剣と銅の錫杖が見付かっていますし、名峰の誉れ高い「槍ヶ岳」の初登頂も浄土宗の僧、幡隆上人よってなされています。幡隆上人は、山頂に厨子を置き、阿弥陀如来・観世音菩薩・文殊菩薩像を安置していますので、決して山を征服しようとしたのでは無いようです。

 

世界の最高峰「エベレスト」の初登頂においても、ニュージーランドのヒラリーと現地人シェルパのテンジンが山頂に立った際、テンジンは氷雪に穴を掘り、食料を山の神への供え物として合唱して下山したようです。(一神教多神教の違い?)

 

そういえば、ハワイ島の「マウナケア山(白い山)」もハワイ原住民からは、「神々の住む山」として崇められており、今以上の天文台が造れないといった話も聞きました。

 

今は山に対する「畏敬の念」なんて言うと、「古臭い」と叱られてしまいそうですが、私もそれなりの歳ですので、これからは低い山でも登ったら合掌でもして帰らなければ!と改めて考えさせられました。