堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

日常使いの器

我が家で毎日のように使っているのが「丹波立杭焼」の菊皿、結婚して20年以上ですが、毎日のように食卓に出て来ます。

 

15㎝の浅目の物と12㎝の少し深めのお皿です。一枚1,000円位だったと思いますが、20年以上使い続けていますので十分元は取れているようです。

 

良く有る貫入(釉薬にひび割れが入った物)は、趣が有りますが、長い間使っていると「ひび」の部分がどうしても黒くなってしまいます。焼き締め(釉薬と使わない備前焼等)も使う前に水を含ませるなど、ちょっと注意が要るようです。

 

その点、「丹波立杭焼」は、全面にしっかり釉薬が掛かっていますので、だし汁や醤油が沁み込む事が有りませんので、普段使いにはピッタリです。それに、20年間、割れた記憶が有りませんので耐久性も申し分なしです。

 

お皿というと、ついついこの皿に手が伸びますので、知らぬ間に我が家の生活に溶け込んでいるようです。

 

日常使いは、余り見た目に拘らず、釉薬のしっかり掛かった器が手入れも楽で良いようです。

 

結婚当初、お気に入りの備前風のお皿で!と思い取り出してきて、「使う前にさっと水を掛けて」と言ったら、「そんな面倒臭いのは使いません」の一言、

それ以来、20数年、未だにその皿は日の目を見ていません!

熱烈歓迎

先日、犬を数引き飼っている知人の家に立ち寄りました。

 

犬達は昼間、庭で過ごしているのですが、車が駐車場に入って行くと、

全ての犬が「わん わん わん!!」と賑やかに吠えてお出迎えです。(田舎なので吠えても大丈夫なのです)

 

人が来たら吠えるのには「知らない人が来た!!ご主人様に御注進!!」といった群れを守る本能でやっている場合と「やったー!○○さんが来てくれたっ!嬉しいっ!」などの理由が有るようです。

 

今回は幸いにも後者の方だったようです。

私は先ずトイレを借りたのですが、その間に家内が庭に、すると、どの犬も家内に飛びついての大歓迎でした。(子供に怪我をさせたら大変ですので、飛び付いた時には躾しなければならないのですが、此方も、ついつい甘々でした。)

 

その家には、大型犬から超小型犬まで5匹居るのですが、中に一匹トイプードル、コイツはとびきり頭が良いのですが、頭の使い方を間違えていて、悪い事をしては私に何度も叱られている悪ガキです。

 

何時も私に叱られた(躾をされた)後に「今日はこれくらいにしといてやるけど、今度は覚えてろよっ!」と「池のめだか」張りに睨みながら去っていくという、小憎らしい悪ガキ犬です。

 

そのトイプーが家内に抱かれているのにも関わらず(甘えたで抱っこが大好きな悪ガキ))、私が庭に入って他の4匹に大歓迎を受けていると「俺も行ってオッチャンに挨拶するっ!」と暴れて、抱っこしている家内の腕から飛び降りたようです。

そして、私に駆け寄ってくると飛びついて「おっちゃん、俺!俺!俺もここにいてるでっ!」と飛びついて「熱烈歓迎」といった具合でした。

 

「あんた、その人(オッサン)は敵と違うの?」と家内は呆れ顔でトイプーに声をかけていました。私がいくら躾を入れても、悪ガキの事を嫌いで叱っているのではないという事が犬にはわかっているのかな?(実際、ユニークな性格の悪ガキは、面白いので憎めません。)

 

叱られた時、相手が自分のために言ってくれているのか、そうではないのか、ちゃんと嗅ぎ分ける能力を犬は持っているのかも知れません。

 

家内が「人間もおなじかも?」と私の顔を見て言っています。

名著「ファウスト」

若い頃、ゲーテの「ファウスト」を読みました。

 

世界的な名著、いや人類が残した貴重な遺産とも言える此の書籍にトライしたのは20台の頃でした。

 

同じ時期に読んだ、ダンテの「神曲」は、途中挫折!読み始めて直ぐにギブアップし、それ以来今でも、難しいという思いが先に立ち読んでいません。

 

しかし、「ファウスト」は、どうにか最後まで読めた記憶が有ります。死ぬまでにもう一度読めたらと思っている本です。

 

40~50年前の事ですので、詳しくは覚えていませんが「この世とは何か?」「人生の目的とは?」「人間とは何の為に生きているのか?」と言った人類普遍のテーマを扱っていました。

 

その中に、「愛と憎しみ」「生(天国)と死(地獄)」「欲(煩悩)」が織り交ぜられていて、読み応えたっぷりと言った感じです。

 

でも、20台そこそこで読んでいますので、中身の10分の1位しか理解出来ていなかったはずです。

 

ワルプルギスの夜」の項なんかはサッパリ理解出来ませんでした。今度読む時にもこの項は絶対に読み飛ばす事必定です。

 

常に「真理」を求め、人生の意義を追求するファウストは、悪魔「メフィストーフェレス」と、「私は常に何かを求めている、これは生涯変わらぬ私の姿勢だ」と言い、悪魔「メフィストーフェレス」に「私が一瞬でもその時に満足し、そこに留まる事が有ったなら、お前(悪魔)に、この私をくれてやる」と言った契約を交わします。(拙い私の記憶と理解ですが)

 

ひたすら世の中を駆け抜けてきたファウストは、働いて自由に住める土地を人々が共同の力で作っている光景を思い浮かべ「瞬間よ留まれ お前はいかにも美しい」と叫んだ瞬間に、契約は実行され悪魔「メフィストーフェレス」の勝ち!

 

しかし、神は、崇高な思いを抱いて人生を駆け抜けて来たファウストメフィストーフェレスの手から取り上げt天国へと導くと言った内容でした。(少し記憶が曖昧です。)

 

当然、そこにはゲーテの思い描く幸福感や人生観が描かれており、考えさせる事が多かった記憶が有ります。

 

私の青春の1ページとなった書籍ですが、受けた印象は強烈でした。

イチジク狩り

実家に行ってきました。

お袋も施設に入所しましたので、最近は月に一度位しか実家には行っていないのですが、夏のこの時期は毎週実家通いです。

夏場はイチジクの収穫時期!

 

先週に様子を見に行った時には未だ色付いておらず15個位の収穫しか無かったので「とりあえず今週も行くだけ行ってみるか~」と言って見に行きました。

 

行ってみると大変!イチジクの木に赤い実が沢山・・・

まさかそんなに沢山色付いているとは思っていなかったものですから、私も家内も果物収穫時の服装(長袖等)をしておらず、イチジクの収穫に挑むには大変危険だったのですが、次は一週間後、今色付いている実は全てダメになってしまいます。

 

仕方なく半袖で無花果の収穫をする事となりました。

今年は木の手入れが行き届いていなかったので少し小振り、でも200個近く採れました。

 

味覚狩りと言うと「いちご狩り」「梨狩り」「みかん狩り」などがありますが、あれは観光用で、採り易い所になっている実を採ります。採り易い所の実だけ採っても大丈夫ですが、

赤く成っている実を全て採ろうと思ったら、木の高い所から下は木の根元付近のものまで採りきらなければなりません。

 

イチジクの大きな葉をかき分けかき分けの作業となります。

半袖でそれに挑むのは「蚊」と「毛虫の毛」との闘い、葉の上を毛虫が這うとそこに毛が残ります。眼に見えない小さな毛なのですが肌に触れるとそれが刺さって後で小さな赤い斑点がいっぱいできます。

 

家内は以前、毛虫の毛の事など知らない頃に「寝ている間にダニに咬まれて赤い斑点ができた」と思い布団を捨てようとしたことがありました。(毛虫の毛の話を田舎育ちの職場の同僚に教えてもらって納得したようです)

 

これだけ苦労して採った無花果ですが、私も家内も生のイチジクはあまり好みませんので、食べごろの物は知り合いの方たちにお裾分けし、青い物はコンポート、これは旨いです。

 

スーパーで売っている野菜や果物は、農家さんの尊い労働(汗)の末に私達の口に入っているのだと、イチジク狩りをする度に改めて想うオッサンでした。

心地よい「褒め言葉」

お酒を飲むと「誰々さんは・・・」という人の話題になる事が良く有ります。振り返ってみると、やはり「悪口」の方が多かったようです。

 

「人の苦労は蜜の味」なんて言葉もあるように、自分が人より下に思える「褒め言葉」より、ちょっぴり優越感を味わえる「悪口」の方がどうしても心地よく感じるようです。

 

人間の脳はそのように出来ているといった研究結果も有るようですので、少し私も救われた気になります。

 

ご多分に洩れず私も「人の噂話」なんかを肴にお酒を飲んでいた輩ですのでお恥ずかしい限りです。

 

しかし、よくよく考えると人の悪口を言っているのを聞いた事の無い人が私の周りにも居たなと思い出しました。(遅すぎる!)

 

家内と話をしていても、「あの人から人の悪口を聞いた事が無いな」「あの人は何時も上司の悪口を言っている」「あの上司はよそでは何時も部下の事を褒めている」なんて話になるのですが、「悪口」を言わない人は確かに居ます。

 

あまり「悪口」が続くと、つい無愛想になり、つっけんどうな素振り、これが元で夫婦喧嘩といった事も!

 

「悪口」を言わない人と飲む酒は心地良いものです。

まして「何時も誰かを褒めている」ような人に出会った時なんかは、「瞬間よ止まれ、汝はいかにも美しい」(ファウスト)といった気になるかも知れません。

はっきりした犬

ちょっと気が早いですが来年は戌年です。

家内はまだ夏のだというのに「来年の年賀葉書は我が家の凡犬!」と張り切っています。

 

しかし、可愛い写真が全く撮れない・・・?

もともと無愛想な犬なので、可愛い瞬間を撮ろうと思うとかなり性能のいいカメラが必要なのでは?(それ程、笑顔の少ない犬です。)

と私は思っていますが、それを口にすると「じゃあカメラ買って」と言われかねないのでここはぐっと我慢です。

 

そんな写真映りの悪い我が家の凡犬ですが、たまに可愛い顔をする時があります。

それは「おやつ」を貰う時!

 

家内は仕事帰りに寄るスーパーで「砂肝」が割引になっていると必ず買って来ます。(私の餌も割引優先で食卓に出て来ます。)

 

砂肝のコブの部分を開いて平たくしオーブントースターで素焼きにすると凡犬の大好物のオヤツの出来上がりです。

全く技術は不要です。

それを小さめに切って冷凍保存、

 

毎晩ではありませんが、お風呂も入って後は寝るだけというのんびりした時にその「オヤツ」を出して来ます。

 

凡犬はそれをよく知っていて、オヤツが出て来そうな時間に家内が冷蔵庫に向かうと必ずニコニコしながら後を追っています。

 

凡犬、オヤツの時には命令されなくてもシュタッ!とお座りし「私良い子」アピールをしています。

 

その時の顔が本当に可愛いようです。

眼をキラキラさせて、口角もあがっていて笑っています。

そして必ず大好きなオヤツを貰った後は水を飲みに行き、クーラーの風が一番当たる涼しい場所に脚を放り出して寝ます。

 

その後は、家内がどれだけ冷蔵庫の方へ行こうとも、決して付いて行く事は無く、顔すら上げません。

 

猫よりも猫らしい犬、犬とは名ばかり、飼主よりも餌!

何時も家内と二人「はっきりした犬」やなと感心しています。

 

この調子でいくと、年賀状の写真はオヤツ待ちのキラキラ笑顔しか無いかな?

一人でどうやって撮るのかな?

私は、手伝わないぞ!

と密かに思っているオッサンです。

マジックフレーズ(ちょっとした一言)

大阪の繁華街といえば梅田と難波、私も梅田には年に一度行くか行かないかいった程度ですが、難波には電車で一本という便利さもあって月に一度位は出て行っています。(家内からは「用事も無いのに電車賃使って!」言われながらですが)

 

さすがに、難波は堺と違って人通りが多いです。

道頓堀までの道は、人を掻き分けて歩いている思いです。私なんかは、人の多さに酔ってしまうような気になります。

 

それなら行かなければ良いのに?分かっていますが「虫」です。難波に出ると必ず「山用品の店」と「古着屋」に寄りウインドショッピングを楽しみます。一ケ月もすると「何か新しい物が入っているかな?」と「虫」が騒ぎ出しますので仕方が有りません。

 

以前、人混みの中を歩いていたら、急に前の人が止まられました。危うくぶつかりそうになり、思わず「しっかり前を見て歩け!急に止まるな!アホか!」と心の中で叫んでいました。(口に出して言うような勇気は有りません。)

 

しかし、私自身も考え事をしている時など、同じ事をして後の人に迷惑を掛けていた事を思い出してしまいました。(自分の事は棚にあげての典型です。)

考えてみると、前の人が急に止まって此方が慌てても、何時も腹が立っているような事もないようです。

 

何故かな?

そう、そんな時、前の人の「すいません」「失礼」「ごめんなさい」といった言葉の有る無しで私の腹の「虫」の機嫌が全く違っているようです。

 

お前は、しっかり謝っているの?自身が有りません。

 

私も上手く「マジックフレーズ」使わねば!反省する事しきりです。