堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

杏人ピーチマンゴー VS 杏仁豆腐(牧家)

 家内はスイーツの杏仁豆腐が大好きです。

 ブッフェなどに行った折に杏仁豆腐を見つけると、たらふく食べた後でも「まだ食うか?!」とあきれるくらい食しております。

 その家内の今のお気に入りの杏仁が

 ケーニヒスクローネさんの「杏仁ピーチマンゴー」と牧家さんの「杏人豆腐」です。

 

 ケーニヒスクローネは神戸に本店あるスイーツのお店で、有名デパートに数多く出店されているので御存じの方も多いかと思います。

 そのケーニヒスクローネの数あるスイーツの中で家内が購入するのはたった一つ!

 それが「杏人ピーチマンゴー」なのです。

 カップに入ったゼリー菓子で、一番上の層にはフルーツ(ここに桃が入っています)と透明なゼリー、二層目に杏仁豆腐、三層目にマンゴーゼリーが入っているという、内容を聞いただけではちょっと「本当に美味しいの?」と思ってしまいますが、これを混ぜて食べると大変美味しいとの事です。

 甘さ控えめ、杏仁豆腐とマンゴーゼリーが絶妙なバランスで入っているので、どちらの味も引き立たせる爽やかなスイーツとなっているようです。

 5月末くらいから売り出され、秋になったら販売終了という夏場限定商品ですが、人気の商品なのか、私が購入する店舗では午前中で売り切れる事もあります。

 一個378円、月に1~2回の「プチ贅沢」にピッタリなようです。

 

 そして、もう一つ家内のお気に入りなのが牧家の杏仁豆腐

 牧家(「ぼっか」と読みます)は北海道の牧場を中心にスイーツなどを作っている会社です。

 牧家の杏仁豆腐はまさに豆腐のような四角い入れ物に入った見た目は豆腐その物のスイーツです。

 私には甘過ぎるのですが、ミルク味がとても濃く感じます。

 家内は「ちょっと甘いけどすごく美味しい!」と言ってばくばく食べます。(商品にはシロップも付いて売られていますが、シロップをかける必要はないそうです)

 和菓子に使う本葛を使われているそうでプルプル感が半端ではないです。

 そして牛乳に加えて、練乳も使われているそうでミルクの濃圧感も半端ではないそうです。

 牧家の通販サイトを見たところ、520gで883円(税込)ですが、家内はコストコで購入しているので520gで648円です

 コストコの会員になっている方はコストコで購入するほうがお得です。

 義母はこの杏人豆腐に缶詰のミカンや桃などを入れて「美味しい!」と食べています(義母も杏人豆腐好き、やはり母娘は似るものです)

 

 家内曰く、この二つの杏仁豆腐スイーツは甲乙付け難いらしいです。

 興味がある方は夏の内チャレンジを!!

どいつもこいつも!

 7月中ごろ、3ヶ月間預っていた保護犬の里親さんが決まりました.

 やはり3ヶ月も一緒に暮らしていると情が移ってしまい決まった時には家内は泣いていました。(何時もの事ですが!)

 事ある毎に「あの犬今頃どうしてるかな~?」と言いだす家内を相手に、ついつい思い出話に花が咲く事もあります。

 その犬は柴犬の雌、ろくな食べ物も貰えてなかったのか、やせ細って毛並みの悪い子でしたが、顔は「美人顔」、我が家の凡犬のマズルが短いタヌキ顔とは一線を画しています。

 その上、人懐こくて明るくて、お散歩中にすれ違う人にまで愛想を振りまく人気者でした。

 ある日、その子を散歩に連れて行く時の事です。

 家内が凡犬、私が預り犬を抱いてエレベーターに乗っていました。(マンションの規約でマンション内ではペットは抱っこして移動となっています。)

 そして私と家内の二人と二匹しか乗っていないエレベーターの中に「ぶぅぅぅぅぅ~」と間延びしたオナラの音が響き渡ったのです。

 私と家内はお互い相手がオナラを致したのだろうと顔を見合わせていました。

 「僕(私)を疑っている?」お互いが疑いの目です。私も思わず首を横に振っていました。

 では誰が?!まさか?!

 そう、犯人、いや犯犬は私が抱いている預り犬でした。

 すました顔して抱っこされている美人犬、その後お腹も「きゅるるるるる~」と鳴らしていて、家内と二人で大笑いしたものです。

 そういえば、20年位前に飼っていた猫の「ハナ」

 ハナは野生が強く高い所に登りたがりました。(猫の典型的な習性です。)

ですから冷蔵庫の上はハナのお気に入りの場所、何時も上から自分の縄張りを見下ろしていました。

 ある日、家内と二人リビングで寛いでいると突然ガス警報器が「ピーピー」と発報!

ですが料理はもちろんしておりませんし煙草も吸っていません。

 びっくりしてキッチンを見ると、冷蔵庫の上にハナの姿、その上にガス警報器が・・・

 オナラでガス警報機が鳴る事を初めて知りました。

 動物は時として私達に思わぬ笑いを届けてくれます。

 何をやっても笑いで済まされる羨ましい存在です。

「鍵」?

 外出から帰って「鍵」を開け、家に入り又「鍵」をかける。

 もう、何回この動作を繰り返している事でしょう。

 しかし、今日は、ふっと「昔は鍵を掛けていなかったなあ」と変な事を思い出してしまいました。

 特に母の実家に行った時なんかは、確かにお隣さんは鍵を掛けていなかったようです。

 「今日は風呂を焚いたから入りにおいで」といったお誘いがあった時代です。

 かれこれ50年前の話ですが、間違い無く玄関の鍵は掛かっていませんでした。

 私も、夜に帰って「鍵」を掛けずに朝までそのまま、何度か母に叱られていた記憶が有ります。

 以前は、鍵を掛ける必要が無かったと言った方が良いかもしれません。

 海外では、紀元前2000年頃には既に「エジプト錠」と呼ばれる木製の鍵が有ったようですが、日本では遅れる事3000年以上、飛鳥時代にようやく「海老錠」言われる「鍵」が使われていたようです。

 人の移動も少なく、「村」という共同体がしっかりしていた為、よそ者がうろつき難い環境が有ったのかも知れません。

 長い歴史の中で富の蓄積が進み、守るべき物が出て来てしまった事が「鍵」の出現に繋がったようです。

 時が経って「鍵」は富の象徴、権力象徴と言った役割を担っていきますが、蔵の鍵を渡されるということは、家主と認められるといった事は今でも有りそうです。(我が家に蔵は有りません。)

 毎日、何の気なしに行っている「鍵」の開け閉めですが、「鍵」が要らない方が良い時代なのでは・・・

 そんな事を考えてしまいました。

侘び・寂(わび・さび)

 よく「侘び・寂」という言葉を耳にしますが、意味を問われると困ってしまいます。

 「侘び寂」とは、「価値の無い物に価値を見出す。」といった意味だと聞いた事があります。

 そういえば、千利休が完成させたと言われる「侘び茶」でも、朝鮮半島で焼かれた名も無き日常雑器を「天下の名物」として重用したようです。

 一般的には何の価値も無い雑器に究極の価値を見い出すというのは、日本人の究極の美学といえます。

 戦国武将の滝川一益は、武勲により国を与えられ城主となったようですが、信長から茶器(名物)を貰えず「茶の湯の冥加もつき果てた」と落胆したようです。

 国よりも茶器?信じられない事ですが、どうも本当のようです。

 でも此処までいくとちょっと行き過ぎ感が拭えません。

 「豪華」とは正反対にある「侘び寂」の心ですが、「不完全なもの」「歪んだもの」「傷のあるもの」に価値が有ると言った考え方は、外国人にはなかなか理解されないようです。

 伊賀焼のいかにも水が漏れそうな傷が入った水差しが珍重されているのもその最たる例です。

 不思議と、私も陶器を見ていると少しゆがんだような物に味わいを感じる事が多くあります。

 窯の中で歪んでしまった器は、作家としては失敗作かも知れませんが、作家の思惑から外れた自然の作用が思わぬ贈り物となっています。

 磁器なんかでは完全に排除される、ちょっとゆがんだ器も良いものです。

 もし、きちっと轆轤で整形された歪みの無い器と、少し歪んだ器が並んでいたら、迷わず歪んだ器に手が伸びてしまうオッサンです。

ビバリーヒルズ・コップ

 何気なくテレビを見ていると、「ビバリーヒルズ・コップ」(主演エディ・マーフィ)が放映されていました。

 今まで2~3回は観た映画ですので、バックミュージックのような感覚でテレビを点けていました。(家に居ればテレビを点けてしまうテレビっ子です。)

 何気なくテレビに目を遣ったのが運の尽き、後半の30分ほどは性懲りも無く見入ってしまいました。

 決して「名作」と呼ばれる映画では無いと思いますが、「テンポ」「ストーリー」「ウィット」「キャラクター」「ストーリー」「ミュージック」の全てが上手くかみ合っているようです。

 特に「テンポ」の良さは「さすが」と思わせるものが有ります。此方の思いを先取りして場面が変わって行きますので退屈する事が有りません。

 コメディがはまっているエディ・マーフィは勿論ですが、オタク系のジャッジ・ラインホルド(ローズウッド刑事)、堅物のジョン・アユトン(タガード巡査部長)等、脇役の個性が際立っているのが「テンポ」と併せて印象的でした。

 この映画は、最初シルベスター・スタローンが主役で「コブラ」と題する予定だったようですが予算の都合で、エディ・マーフィになったようです。

 この脚本を書き変え、スタローン主演で映画化されたのが「コブラ」!

 この映画と「コブラ」は兄弟のようなものですが、主役のキャラの違いで「ビバリーヒルズ・コップ」はコメディ!「コブラ」は本格アクション!当然かな?

 勧善懲悪の典型的なアメリカ映画ですので観たままでOK!

 これぞ「娯楽映画」といった感があります。

大空と大地の中で

 久し振りに、松山千春の「大空と大地の中で」を聴いています。

 大空に吸い込まれていくような曲調で、聴いていても「清々しさ」を感じさせてくれます。

 とはいっても、私が知っている千春の歌は此の曲と「恋」「季節の中で」「長い夜」位なものですので、千春ファンからお叱りを受ける事必定です。

 歌詞も覚えていないのに、「果てしない大空と・・・」というフレーズを口ずさんでいますので私の中の「名曲」になっているようです。

 最近のテンポの速い歌は、私には付いて行けていないようです。歌声が「歌詞」として入って来ないで「音」として耳に入って来ますので、まるで英語の歌を聴いているようです。

 ですから、歌の意味が分かっていないという状態です。

 何時も家内に「何をうたっているの?」「どういう意味?」と聞いて、「信じられない!」といってバカにされています。

 しかし、頭の構造が古いので仕方がありません。

 此の曲を聴くと、北国の厳しい自然と、その中で強く生きて行く人々の逞しさといったものを感じます。正に私にとっての「名曲」です。

 最近、政治の世界がなにかと話題になっていますが、「素朴」でありながら「力強い」このような歌を聴くと、少し「ホッ」とさせられます。

 「果てしない大空」といっても、地球を1㍍の球と考えると、大地(地表)は数ミリ、大空(大気)も数ミリといった薄っぺらな世界です。

 こんな小さな世界で、人間だけが争い事を繰り返しているかと思うと少し悲しい気持ちになってしまいます。

「サアァッ」という清涼感?

 昔読んだ本で、内容はほとんど覚えていないのに、一文だけが頭に残っているというのが有ります。

 「古寺巡礼(和辻哲郎)」は大正八年に書かれた物ですが、何故か一文だけが記憶に残っています。

 この書籍は、大正七年、和辻が二十代の終わりに訪れた奈良の寺々の印象を若き情熱を込めて「旅行記」風に纏めたものですので、おおよそ百年前の本と言う事になります。

 和辻自身、若さにまかせて書きあげた本である事から、書き直したい希望もあったようです。

 しかし、私には「若さ」が、この書籍に「みずみずしさ!」を与えているような気がしてなりません!

 二十二章の冒頭、法隆寺を訪れた時の印象を和辻は「あの中門の内側へ歩み入って、金堂と塔と歩廊とを一目にながめた瞬間に、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものをかんじます。・・・」という一文が頭に残っています。

 このような文章・感情表現は、「若さと情熱」が無ければ到底書けないもののような気がします。

 後年の和辻から見れば稚拙と感じる部分もあったようですが、若さが稚拙さを十二分に補っており百年の歳月を越えても読む者を引き付ける魅力を持っています。

 同じように、「宮本武蔵吉川英治)」も、最後の一文「波にまかせて、泳ぎ上手に、雑子(ざこ)は歌い稚魚(ちぎょ)は踊る、けれど誰が知ろう、百尺下の水のこころを、水の深さを」という一文が深く頭に残っています。

 さすがに、どちらも名著だけの事は有ると感心させられます。