堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

無人島へ持って行きたいCD(Part1)

 前回、デュ・プレのチェロ協奏曲に少し触れました。奏者と楽器との一体感をこれほど実感できる演奏はめったに有りません。これでもかというほどのパワーでチェロが鳴り奏者(人間)を感じさせません。ミスタッチが多いと言われていますが全く問題にならないほど凄い演奏です。(というより聴いていても私にはミスタッチが解りません)

 デュプレのチェロを受け継いだヨ―ヨ―・マと聞き比べてみて下さい。フルニエやカザルスという世界最高峰の演奏も良いですが、全くタイプの違う演奏のように聞こえます。

 チェロといえば後一人、シュタルケルは外せません!流石に音楽の教鞭を執るだけに、落ち着いた隙の無い演奏に聴こえますが、その音に深い味わいを感じます。(少しチェロが大きいのか重心が低いようです。)

 ピアノは、やはりアルゲリッチショパンのピアノ協奏曲第1番!それも1999年の指揮がラビノヴィチ版は、何度聴いても感動します。行き詰っている時など涙が出てきてしまいます。一般には1992年の演奏の方が評価が高いようですが、私の好みは99年版です。92年版は、音が華やかで、例えばオッサン達が焼酎片手にワイワイやっている居酒屋に「二十歳のカワイコちゃん」が入って来たような戸惑いを感じます。それに比べ99年版は、「キラキラ感が少ない」というか、有り余るテクニックをグッと押さえながらも伸びる所は気持ちよく伸びる心地よさです。

 ただ、ベートーベンはバックハウスかな?ピアノ協奏曲第4番・第5番は、派手さは感じませんが真摯にピアノに向かう姿勢は、ベートーベンに合っているようです。アルゲリッチの演奏は少しベートーベンには合わないような気がします。

 交響曲では、ムラヴィンスキーのベートーベン第3番!カラヤンと違い「何も足さない!何も引かない!」(余計な誇張が無い)というような演奏で、初めから終わりまで音楽に集中出来ます。(CDを聴いていても途中で他の事を考えさせない緊張感があります。)

 ベートーベンといえばフルトベングラ―は外せません。永遠の名盤といわれるバイロイトの第9(1951年録音)は、今日に至ってもこれ以上の演奏は現れていないようなスゴイ演奏ですが、何せ70分を軽く超えてしまいますので年に一度位しか聴きません。それにしても、これがバイロイト音楽祭の為に集められたオーケストラでの一時限りの演奏であったとは奇跡のようです。

 よく思う事ですが、ベートーベンがイメージした音と、現在耳にする音は大分違っているのでは?ピアノもヴァイオリンも、当時と比べると大きく進化しています。一時、古楽器演奏というのが流行りましたが、それでも音は違っているはずです。どちらも正解かな?現代の演奏でも十分に感動出来ています。

 フルトベングラーでは、シューマン交響曲第4番は、是非聴いてみて下さい。お薦めです!

〔紹介CD〕

ジャクリーヌ・デュ・プレ ドボルザークチェロ協奏曲 EMI

ヤーノシュ・シュタルケル バッハ無伴奏チェロ組曲 マーキュリー

マルタ・アルゲリッチ ショパン ピアノ協奏曲第1番 アコード

ヴィルヘルム・バックハウス ベートーベン ピアノ協奏曲第4番・第5番 デッカ

ヴィルヘルム・フルトベングラー ベートーベン 交響曲9番(バイロイト版)

                                 EMI

ヴィルヘルム・フルトベングラー シューマン 交響曲4番 グラモフォン 

青森のゴッホ

 版画(板画)で有名な棟方志功は、私の好きな作家の一人です。

 版板が窮屈に見える位大胆な構図の「釈迦十大弟子」なんかは圧巻です。筆で丁寧に描くのと違い版画はどうしても線が単純になります。それがかえって作者の思いをストレートに表現し、見る者に直接伝わって来るような気がします。版画は基本的に「白」「黒」の世界ですから色彩的に最も単純な表現方法ですが、そこから伝わってくるものは生半可ではありません。墨で表現された「釈迦十大弟子」は油絵に無い日本的な趣を感じます。

 「観音菩薩」を描いた一連の作品も、仏様には似合わない「色気」が志功らしく好感が持てます。「雨ニモマケズ」なんかは、宮澤賢司の純朴さと鑿で表現された文字が文句なくピッタリです。

 極度の近眼であった志功は版木に向かう時、眼鏡が版木に触れるくらい顔を近づけて彫っていたそうですが、以前テレビで放映された制作風景からは「少しくらいの間違いなんか関係無い!」といったような気迫を感じました。

 EMIから発売されているデュ・プレのチェロ協奏曲(ドボルザーク)を聴いた時にも「少々のミスタッチ」を超えるチェロの音に圧倒されたものでした。

 芹沢けい介(人間国宝)が「型紙」を切り出している時にも「間違って切ってしまった」と笑っていた事も思い出されます。

 「ワダ(私)は日本のゴッホになる」と言っていた志功は「世界の棟方」になったようですが、わが家の壁にも、志功の「菩薩像?」が掛かっています。(勿論複製ですから額の方が高いです。)コピーでも志功は志功です。毎日観てても飽きません!

 和室にも、ほとんど額代という「雨ニモマケズ」の複製が掛かっていますが、壁に比べ額が小さく少し変な感じです。

 もう少し大きめのものが有ったら良いのになあ・・・・・

 「グズグズしてやんと早よ寝えや!」と家内の声が聞こえて来ます。

 

福岡の牡蠣

 行きは山陽自動車道をひたすら西へ、北九州から大分をまわり帰りは、寝ている間に別府から南港までフェリーといったコースで3~4泊位の日程だったと思います。7年位前の事ですが、今でも印象に残っています。何が?牡蠣!露天風呂!共に近場では体験出来ないものでした。

 牡蠣と言えば広島、近くでは相生なんかが有名ですが、福岡の牡蠣はバケツ売りです。

 バケツ一杯(当時で1㎏)1,000円+炭代300円で二人で堪能出来ます。港にビ―ニ―ルハウスの牡蠣小屋が立ち並んでいますが、どこに入るか決めるまで少し時間がかかります。(必ず迷ってしまいます。)締めのイカの一夜干しを頼む頃には、ビールの酔いも手伝って最高の気分です。(私は運転しませんので念のため)

 イカの一夜干しや牡蠣ご飯・ひおうぎ貝・・・・小屋によってメニューは違います。期間は12月から3月頃(不漁の年は小屋が立たない事も)ですが、土日等は早く行かないと混み合うようです。2~3ヶ所(港)で小屋が立ちますが、私たちが行ったのは、岐志漁港でした。

 牡蠣と言えば、よくある食い放題は、結局そんなに食べられず割高になってしまうような印象ですが、ここなら安心です。

 九州といえば次は、やはり温泉かな?

 豊礼の湯(熊本県)の貸切露天風呂(家族風呂)は、お薦めです。コインタイマー式で当時一時間500円でした。(今は1,200円?)中に入ると岩風呂のような造りで、目の前は阿蘇の山並み!解放感たっぷりです。

 大きな湯船でしたので、正直500円で大丈夫かな?と心配しましたが、なんのなんの「ドドッ」とお湯が出てきて「あっ」という間に源泉かけ流し状態です。

 温泉前の地獄蒸は誰でも無料で使えます。売店で売っている卵や野菜を風呂に入る前に入れておいたら、一時間有れば十分に蒸し上がっています。風呂からあがったら料理が出来上がっているのですから最高です。

 地元の人は、食材持参で楽しんでおられるようです。

 九州では、日帰りの貸切家族温泉風呂が多く色んな所で楽しめます。(要チェック!)

 豊礼の湯は、福岡から一時間半位車を走らせればOKです。

 牡蠣と温泉、共に安くつく所にしか行っていませんがお薦めです!

 

九分丈

 久しぶりに、近くですが旅に出ました。

 今回は未だ行った事の無い「三井アウトレットパークマリンピア神戸(マリンピア)」と言う事で車を走らせた訳ですが、だいぶ迷いました。何時もならナビが案内してくれるのですが、今回はナビが故障の為、家内が運転、私がタブレットの地図を見ながら「右」「左」といった具合です。(因みに私は免許を持っていません。)

 昔は、ロード地図を見ながらというのが普通だったのですがナビが普及してから、我が家も機械に頼りっぱなしでとんとロード地図を手にする事が無くなっていましたので、迷うのは当たり前ですが20年時代が遡った感じです。

 当然の事ながら、運転手からは「どこ見てんの!」「「役に立たんな!」「何の為に助手席に座ってんの!」というような言葉が飛んで来ます。

 正直言ってナビが有っても通り過ぎてから「あっ左」とかいっていた私にとっては何ら不思議な事では有りません。とりあえず、「海沿い」に「西へ」と走って「マリンピア」という看板が出てきた時には、さすがに「ほっ」としました。まあ30~40分位の遅れですから「まあ まあ」では無いでしょうか!

 マリンピアは、明石海峡大橋が目の前ですが、名前のごとく海沿いで「家族連れ」でも「ワンコ連れ」でも十分楽しめる所です。「神戸三田プレミアム・アウトレット」と比べるとマリンピアは狭く、一つ一つのお店も小さいようですが、三田と違い子供連れでも十分に楽しめます。家内も「こっちの方が海も見られるし、広場も多いから開放的で良いかも」とか言って楽しんでいました。

 とりあえず 回転寿司「もりもり寿し」で昼食、大当たりでした。金沢の回転寿しチェーンらしいです。一般の回転ずしと比べると割高ですが「がすエビ」「ばい貝」「しろエビ」など珍しいネタも有り、美味しかったです。(今回は2人で3,000円でした。)

 昼食も終わり、ぶらりとショッピング。よく行く「ポロ ラルフローレン」でも覗いてみようと立ち寄ったのですが、やはりお店は狭かったです。店内のバーゲンコーナー(定価の三分の一)でボタンダウンのシャツと綿パンを手に取り試着。

 上下を着て試着室を出ると、「アメリカンサイズですが、こんなにピッタリ着られる方は、あまり居られません」という店員さんの言葉に、思わず顔がほころんだ私でした。(裾上げしないで、そのままというのはあまり経験がありません。)

 家内が、すかさず「アメリカンサイズなら、これ本当は絶対九分丈ですよね!?」と店員さんに聞いていました。(店員さん答えず・・・・)

 上下で11,000円の買い物でしたが、絶対に「九分丈」では無いと思います。少し店員さんの笑顔が気になりますが・・・・

 

新参者

 3日前に、我が家に新しい顔が加わりました。とはいっても、保健所から来た柴犬の女の子です。御歳7歳(推定)、少し大柄(11㎏)ですが、顔は美人顔でわが家の凡犬(暗い顔)とは大分違います。里親さんが、見つかるまで同居ということですが、それにしても、先住犬の心の狭さには感心させられます。

 もともと、カチャカチャしたイヌは嫌いなようですが、「ウ―」と唸ったり、牙を剥いたりするたびに家内から躾を受けています。いつぞやは、しっかりと床に押さえ付けられていました。預かり犬が来るたびに同じ事を繰り返していますので、学習能力「ナッシング」のワンコです。自分のテリトリーに他のイヌが入って来るのですから、有る程度は仕方がないかなとも思いますが、もう少し「フレンドリー」にしてもらいたいものです。

 保護犬の一時預かりは、もう5年目位になります。家内は大のイヌ・ネコ好きですので、一時預かりの預かり主は家内、私は孫請けといったところです。(私はワンコが居無くても平気な人間です。)

 家内は「甘々」で、私は「冷たい」というパターンでやってきましたが、どういう訳かほとんどのワンコは、私を主人と認識するようです。(これは自慢です!)

私の感覚では、やはりイヌは、リーダーに命令され、従う、そして褒められる事を喜んでいるようです。家内は、友達といったところです。

 最近、ワンコの躾として「叱らない」というのも有るらしいですが、私の躾は、「コラ」と言う声だけでなく、体で分からせる方法をとっています。(声だけではワンコは褒められているのか叱られているのか分からない時が多いように感じます。叱っているという飼主の自己満足だけになる場合もあります。)

 躾の時に、ご褒美に「トリ―ツ(おやつ)」を使う事もしていません。良い事をしたら、しっかり撫でてあげるようにしています。撫でてもらう事が最高のご褒美になれば「オンの字」です。

 誤解の無いように申し上げますと、体で分からせる躾とは、母犬が子犬に行う躾です。安易な飛び付きは直してあげないと、子供(人間)に怪我をさせたら下手をすれば殺処分です。吠え癖も直さないと捨てられる確率が増えてきます。飛び付きや無駄吠えの時は、その場で直ぐに躾します。また、呼び鳴きしている時には絶対に行きません。必要なら「キャン」という程度まで体で解らせます。

 新しい里親さんが少しでも飼いやすいよう、そしてワンコが、里親さんに愛され幸せになってくれる事を願うのみです。

 今も、預かり犬が隣に寄り添い体を預けて来ています。可愛いですが、私は、ワンコに冷たい人間です。(「イヌの惑星」に行ったら死刑です。)

 横で家内は、「イヌは躾は出来るが、ネコと人間の躾は難しい」と言っています。(私の事?)

健康な器

 大分県の日田の郷は、焼き物で有名な町です。そこで焼かれている「小鹿田(オンタ)焼」は、私のお気に入りの一つです。「飛び鉋」「刷毛目」「櫛描き」など、味わい深いものがあります。

 この焼き物は、あくまで日常雑器として造られていますので、代々続いている数件の窯で焼かれる物には作家の「銘」などは入っていません。ですから値段もそんなに高く無いです。

 一番気に入っている所は、とにかく強くて長持ちします。(古い物では40年位前のを今も使っています。)そこに職人さんの熟練の技が加われば最高です。お皿をみても一つとして同じ物は有りませんが、慣れた職人さんが造ったものは、元気がよく躍動感を感じます。同じ物を何年にも渡って造っている訳ですから、当然と言えば当然かもしれませんが、その熟練の技から生み出される器は素朴で健康そのものです。(変な色気は全く有りません。)

 当然、華美な装飾や絵付けは一切されていませんので、料理が器に負けるということも無いです。(我が家にピッタリ!)

 益子焼丹波立杭焼備前焼きも好きですが、どうしても新しい物より昔に造られた器の方に魅力(深み)を感じてしまいます。備前なんかは高くてなかなか手が出ません。

 それに比べ、小鹿田焼は土も釉薬も技法も昔のままで、古くからの伝統が受け継がれているような気がします。

 私も、2回ほど日田の里を訪れましたが、窯元を観てみたいと思いつつ行けていません。(どこの窯に行ったら良いのか分からないと言うのが正直なところです。)

 幸い、日田の亀山公園前の「小鹿田焼のさとう」というお店は、品揃えも多く十分に楽しめるお薦めのお店です。

 

ほほえみの仏

 以前、京都に行った時に宿屋のカウンターに置いてあった「広隆寺」のパンフレットが目に付き、何も予定が無かったので訪ねてみる事にしました。(無信心者ですから暇潰しといった程度でした。)

 「有名な弥勒菩薩像」「国宝第1号?」という位の前知識で行ったのですが、実際に「宝冠弥勒像」の前まで来ると足が止まってしまいました。なかなか言葉で表現するのは難しいですが、あえて言うなら「圧倒的な慈悲の微笑み」かな? 自然と頭が下がり、涙が出てきてしまいます。立ち去っては何度も仏像の前に戻って来てしまいます。

 よく「モナリザ」の微笑は世界一とか言われますが、私は此処(広隆寺)や中宮寺弥勒菩薩像の微笑み(アルカイク・スマイル)の方が「慈悲」や「優しさ」を強く感じます。「モナリザ」(実物は見た事はありません)の微笑を観た時、私の脳みそは、それを理解しようとガンバリます。しかし、日本の仏教芸術の頂点に立つこれらの仏像の微笑みは、何も考える事無くストレートに心に伝わってくるようです。京都の蟹萬寺の釈迦如来像を観た時も、同じような感じを持ちました。(行動範囲が狭くてゴメンなさい。)

 抑制された微笑みについては、フランス人は「モナリザ」が世界一と自慢し、エジプト人は「スフィンクス」が一番だと譲られないでしょう!私も同じように日本の仏像が世界一だと思っています。

 私が不思議に思うことは、広隆寺の菩薩像は当初、金箔が貼られた「金ピカ」の仏像でした。極楽浄土を現生に具現すべく寺院も建立当時は、極彩色・金ピカだったと聞いた事があります。しかし、「金ピカ」の仏像と1,000年以上の歳月を経、金箔が落ちた仏像が並んでいるのを想像したら、やはり、現在目にする仏像の方が断然深みがある様な気がします。(どちらも良いとは言えない罰あたりです。)

 それにしても、飛鳥時代と比べると問題にならない位、科学技術は発達している現代ですが、逆立ちしても昔の傑作と言われる仏像が作れないのは不思議なものです。曜変天目茶碗しかりと言ったところです。

 私もだいぶ経年変化を起こしていますが、上手くいっているか心配です。「人の一生なんかは一瞬だから経年変化を心配する必要無し!」と菩薩が怒っています。