侘び・寂(わび・さび)
よく「侘び・寂」という言葉を耳にしますが、意味を問われると困ってしまいます。
「侘び寂」とは、「価値の無い物に価値を見出す。」といった意味だと聞いた事があります。
そういえば、千利休が完成させたと言われる「侘び茶」でも、朝鮮半島で焼かれた名も無き日常雑器を「天下の名物」として重用したようです。
一般的には何の価値も無い雑器に究極の価値を見い出すというのは、日本人の究極の美学といえます。
戦国武将の滝川一益は、武勲により国を与えられ城主となったようですが、信長から茶器(名物)を貰えず「茶の湯の冥加もつき果てた」と落胆したようです。
国よりも茶器?信じられない事ですが、どうも本当のようです。
でも此処までいくとちょっと行き過ぎ感が拭えません。
「豪華」とは正反対にある「侘び寂」の心ですが、「不完全なもの」「歪んだもの」「傷のあるもの」に価値が有ると言った考え方は、外国人にはなかなか理解されないようです。
伊賀焼のいかにも水が漏れそうな傷が入った水差しが珍重されているのもその最たる例です。
不思議と、私も陶器を見ていると少しゆがんだような物に味わいを感じる事が多くあります。
窯の中で歪んでしまった器は、作家としては失敗作かも知れませんが、作家の思惑から外れた自然の作用が思わぬ贈り物となっています。
磁器なんかでは完全に排除される、ちょっとゆがんだ器も良いものです。
もし、きちっと轆轤で整形された歪みの無い器と、少し歪んだ器が並んでいたら、迷わず歪んだ器に手が伸びてしまうオッサンです。