堺市の変人

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最後の武士

太平洋戦争終結時に内閣を率いていた鈴木貫太郎首相は、命をかけて戦争終結の道筋をつけたと言われています。

天皇陛下の詔を受けた鈴木は、「私が、国民よ我が屍を越えて行け」と言ったのは、「今の戦争は勝ち目がないと予測していたので、大命が下った以上、機を見て終戦に導く、そうなれば、(自分は)殺されるということ」「自分の命を国に捧げると言う誠忠の意味」という意味合いであったと言っていますが、身をていして戦争終結に向かっていたのは確かなようです。

 

二・二六事件で瀕死の重傷を負った鈴木は、戦争を終結させる行動は陸軍将校の反発を買い、命が危ない事を身を持って感じていた事は確かですが、陸軍の圧力に屈する事無く天皇に願い出て御前会議を開催、会議の中で終戦の聖断が下されますが、一歩間違えれば内閣分裂という危機的な状況下で戦争の終結へと道筋をつけるというのは、鈴木以外に果たして誰が出来たでしょうか。

 

鈴木内閣は、昭和20年4月7日から終戦の8月15日までの4月余り、正に終戦処理内閣でしたが、正真正銘、命をかけて戦争を終わらせた首相でした。

鈴木内閣組閣後に、アメリカのルーズベルト大統領が病気で亡くなっていますが、鈴木が表明した弔意がアメリカ国民を驚かせています。

アメリカ側が今日、優勢であることについては、ルーズベルト大統領の指導力が非常に有効であって、それが原因であることを認めなければならない。であるから私は、ルーズベルト大統領の逝去がアメリカ国民にとって、非常なる損失であることが良く理解出来る・ここに私の深甚なる弔意を国民に表明する次第である」

 

ルーズベルトは、今次戦争を第二次世界大戦に拡大した扇動者であり、さらに、最大の対立者であるボルシェビキソビエトを強固にした愚かな大統領として、歴史に残るであろう」との弔意をヒトラーが表明していますが、余りにも対照的です。

 

ドイツの文豪トーマス・マンは、いたたまれず「東洋の国、日本には、今なお騎士道が存在し、人間の品性に対する感覚が存する。今なお死に対する畏敬の念と、偉大なる者に対する畏敬の念が存する。これが日独両国の大きな違いである」とラジオ放送で語りかけています。

 

日本では、鈴木のルーズベルトへの弔意に対し、不満を抱いた青年将校首相官邸に押し掛けたようですが、彼らに向かって鈴木は穏やかに「古来、日本精神の一つに、敵を愛するという事がある。私もまた、その精神にそったまでです」

正に最後の武士です。

 

最近、日本維新の会の国会議員が北方領土問題で「戦争で島を取り返す事に賛成ですか、反対ですか」という発言をし、物議を醸し出していますが、語る値打ちもありません。

ただ一つ、簡単に「戦争」という言葉を使って欲しく無いです!