堺市の変人

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本田の「アイデアコンテスト」

「サイエンスZERO」で楽しいテーマが取り上げられていました。

HONDA(ホンダ)の「アイデアコンテスト(アイコン)」、由来や主旨を聞いて驚きました。

 

1969年7月、当時の狭山製作所恒例の運動会で巨大な演(だ)し物が登場したようです。細い銅板を篭状に編み直径5mの球の中に人が乗り600ccのエンジンを操作していましたが、何に使うかという事も無い、ただ、それだけの物だったようです。

 

しかし、それを見た本田宗一郎が、「これは面白い、これこそホンダの夢と頭の運動会だ」と大変喜んだようです。

翌年には、「アイデアコンテスト」がスタートしました。

「楽しいか?」「夢があるか?」「いかに役立たないか?」という事をテーマに毎回5億円をかけて全社員に参加を呼び掛け、会社を挙げてのコンテストが1991年まで12回定例開催されました。

 

「役に立たない」事を目指すという宗一郎の発想は、社会常識を根底から覆すものです。

至極痛快!こんな企画を5億円もかけて真面目にやっていた事が驚きです。

今の物作りは、合理的に無駄の無い技術を求めていますが、「役に立たない」という100%無駄と思える事に技術者が没頭するという遊び心は羨ましい限りです。

 

意外とこの商品化しない(出来ない)発想で作られた作品が、「アイコンで学んだ事は、アイデアを具現化することの難しさと、限られた時間のなかで、出来る限りの事をやり尽くす事の重要性です。手を抜くと本番で必ず後悔しました。・・・アイコンを通して、楽しみや苦しみなど、いろんな事を圧縮して経験出来ました。」というように、遊びを通じてアイコンが技術の向上につながったようです。

 

この「アイコン」も回を重ねる毎にマンネリ化や実用的な作品が多くなり、当初宗一郎が思い描いた「遊び心」が徐々に無くなっていき、バブル崩壊後の1991年の大会を最後に開催されなくなりました。

 

アイコンが最も盛大に開催されたいた頃は、ホンダが4輪工場を世界展開する前の、ホンダの技術者が最も輝いていた頃のようにも思えます。

あらゆる技術が、無駄なくお金儲けが出来る製品造り向けられていますが、よくよく考えてみると昔のように世界を驚かす製品が生まれなくなってきている気がします。

 

世界が驚くような技術(製品)には、合理性だけでなく「遊び心」が必要なのかも知れません。