堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

「ジイチャン」が生きたアメリカ

昨年は日系人がハワイに移住して150年という節目の年だったようです。

それを記念して放送された「ジイチャンが生きたアメリカ」という番組が再放送されました。

 

日系人、尾崎家の100年のドキュメンタリーですが、ジイチャン(尾崎喜代太郎)は、26歳の時に若さと体力だけを頼りにハワイに出稼ぎに渡ったようです。

ハワイでは出稼ぎ労働者、永い小作時代を経て自分の土地を得て農園経営をしましたが、失敗、再起をかけてアメリカ本土に渡ったようです。

 

その頃の日系人は、あくまでも安い労働力として雇われていましたので本土でも低賃金でしたが勤勉な日本人は重宝されたようです。

ジイチャンが働いたのは、人が嫌がる厳しく危険な炭鉱です。

本土に渡って3年目、コツコツ貯めた700ドルで農機具を買い、土地を借りながらも農業を始めました。

 

自然災害、大戦の渦に見舞われながらも家族を育て生きて行く姿は、土地に根ざした人の生き様そのものでした。

ル―ツ(日本)を大切にし、子供達に「家の中では日本語を話す」といった教育を徹底した事からも祖国への思いが伝わってきます。

私なんかより数倍、日本への思いが強かった事だけは確かです。

 

「ジイチャン」が移民して100年、三世が集まった時に、「日系人への評価は高い、これはジイチャンたち一世と二世のお陰だよ」「マイノリティ(少数民族)の中で日系人の評価は常にトップ」「あの当時の人達が模範的だったからだ」と日本人労働者の評価が高かった事が紹介されていました。

 

当然、その頃は、あくまで労働者として働いていた日系一世や二世です。

「ジイチャン」達は、真面目にコツコツと働いただけですが、その勤勉な働き振りが際立っていたようです。

 

この話を聞いて、私は「真面目に一生懸命働く」「手を抜かない」といった昔からの教えが、実は大変素晴らしい事だと改めて考えさせられました。

ややもすれば、上手く世渡りしお金を儲けるといった風潮が出て来ていますが、一番大切な事は、額に汗して勤勉に働く事のようです。

 

技術大国日本という言葉が良く聞かれますが、真に日本が世界に誇れるのは工業や科学技術で無く、「勤勉」や「創意工夫」といった事のような気がしました。