堺市の変人

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名将と名参謀

軍師といえば戦の戦法を考え、戦を勝利に導く知恵の塊のような人物が思い浮かんで来ます。(負ける時も有りますが)

日露戦争における日本海海戦で作戦参謀だった「秋山真之」は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、その知将振りが人気となりました。

 

同時期、陸軍で活躍した児玉源太郎も旅順に着任して4日間で203高地を攻略した事で秋山と同様、日露戦争勝利の功労者と言われていますが、此方の方は史実の裏付けが無いため、良く有る武勇伝といった感も有ります。

国と国との戦争で、着任してから僅か4日で203高知高地を攻略というのは常識では有り得ない事です。

 

しかし、人物としては児玉も大した者です。

参謀総長大山巌に請われ、内務大臣の職を辞し(降格し)参謀本部次長に就いた児玉ですが、降格人事を了承した軍人は、日本陸軍史上只一人だったようです。

後年開催された日露戦争展で、小柄な児玉をナポレオンに準えて讃える陸軍将校の後ろから、彼自身が「児玉はそれ程大した事は有りませんよ」と呟き、「何を言うか!」と振り返った将校が、児玉に驚くのを見て楽しんでいたというのですから、大山巌が惚れ込んだというのも頷けます。

 

日本に招かれたドイツ陸軍参謀のメッケルは、日露戦争の開戦の報に接し、「日本に児玉が居る限り心配は要らない。児玉は必ずロシアを破り、勝利を勝ち取るであろう」と言ったようです。少しは社交辞令も含まれているかも知れませんが、知将であった事は間違い無いようです。

 

片や「秋山真之」、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊に勝利した事で海軍では神秘的な名参謀として崇拝されていたようです。

史実や証言といった裏付けも児玉に比べるとはっきりしていますので真実性が高いようです。

 

日本海海戦で勝利した連合艦隊の解散式での令長官の東郷平八郎の訓示は、秋山が起草したと言われていますが、この訓示に感動したルーズベルト大統領は英訳を米国海軍に頒布したようです。

東郷をして「智謀如湧」(ちぼうわくがごとし)と言わしめた秋山は、作戦能力では児玉を越えていたかも知れません。(人となりは別です)

 

「名将と名参謀」、正に東郷と秋山、大山と児玉に、「名将に人が集まり参謀が人を動かす」という歴史の定石を見るような気がします。

 

明治維新という暴風雨を乗り越え、新しい日本を作っていこうという時代に、このような人物がきら星の如く現れたという事も歴史の必然性なのでしょうか?