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映画監督「ウィリアム・ワイラー」の想い

ラヴロマンスの傑作といわれる「ローマの休日」は、当時新人だった「オードリー・ヘップバーン」が初主演にしてアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、ヘップバーンの名を世界に知らしめた映画です。

 

新聞記者役のグレゴリー・ペックは、さすがに名優、文句の無い演技です。しかし、ヘップバーンの妖精を思わせる演技は、本来なら主演挌のグレゴリー・ペックも唸らせ、自分と同じクレジットを与えたと言いますから大した新人です。

 

当初主演女優の候補に挙がっていたのは、有名なハリウッド女優「エリザベス・テイラー」だったようです。

でも、私には「ローマの休日」の主演女優はヘップバーン以外には考えられません。若さのせいもありますが、これ程までに純粋さといったものを表現出来る女優は他に考えられません!

彼女の「主演女優を鼻にかける」という事の無い振る舞いもスタッフから好感を持たれたようです。

 

でも、この映画の凄い所は時代背景とワイラー監督の映画に込められたメッセージのような気がします。

1951年にワイラー監督がハリウッド映画では初めてローマでの海外ロケを条件に撮影に入りましたが、この頃、アメリカでは「マッカーシーズム」が吹き荒れていました。

 

第二次世界大戦後の東西冷戦の時代、多くのアメリカ人にとって共産主義は敵とみなされ、監督・俳優を始めハリウッドの映画関係者も当局から呼び出しを受けています。

下院非米活動調査委員会の意に沿わないものは、反米的な思想の持ち主として映画界で働けない事もあったようです。

 

この時、ワイラー監督は、アメリカからローマへ赤狩り共産党員の公職追放等)にあった映画人を多数ローマに連れていったようです。

なんとも胸のすくようなワイラー監督の行動です。

 

映画の終盤、王女(ヘップバーン)に記者が「国と国との友好の見通しについて、どうお考えでしょうか?」と尋ねる下りがありますが、王女は「必ずなし得ると信じます。人と人との友情を信じるように!」と語る場面がありました。

この言葉に対しペック(新聞記者)は、「恐れながらが自社を代表して申し上げます。」「妃殿下のご期待は決して裏切られる事は無い」と語っています。

この短い場面に監督の想いが籠っています!

 

1052年に撮影(1953年公開)された「ローマの休日」は、世界大戦の記憶が生々しく残っている時代において、「二度と戦争はしてはならない」というワイラー監督の強いメッセージにも聞こえます。

 

一般的なラヴストーリーと一線を画しているのは、「良い映画を撮る」だけで無い、平和への高い「志」が有ったからだと思います。