堺市の変人

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アメリカに勝った男

日系二世の「フレッド・トヨサブロ―・コレマツ」は、第二次世界大戦当時に日系人強制収容所の不当性を勇気を持って訴えた人物です。

現在、トランプ大統領イスラム圏7ヶ国からの入国制限を行う大統領令の発令を期に、戦争中の彼の行動がアメリカで再評価されています。昨年には、Googleが「間違いだと思ったら、声を上げることを恐れてはならない」というコレマツの言葉をフロント画面に掲載し大統領令への批判だと話題になったようです。

 

第二次世界大戦最中の1941年に高校時代の友人と軍への入隊を申し込んだところ、日系人という理由から拒否されたのを皮切りに、その後、職に付くも日系人で有る事を理由に幾度か解雇されるといった差別を受けています。

 

戦争が進むにつれ、アメリカは日系人をスパイ扱いし「敵性市民」として強制収容所に収容しますが、彼は裁判を起こし、その不当性を訴え続けています。

結果は、1944年の最高裁判決でも「日本人のスパイ活動は事実であり、戦時下では軍事上必要な事態である」との理由で敗訴しています。(この時彼は切望の底に突き落とされたようです)

 

1980年、当時のカ―タ―大統領が日系人の強制収容に関し調査を命じ「日系人の強制収容は人種差別や戦時下のヒステリー及び政治指導者の失敗」と結論付け、謝罪と補償の制度が制定されますが、彼も1944年の最高裁の判決を不服とし、1983年、再び負ける事も覚悟でアメリカ政府を相手に再審請求を行い勝訴!

「平等で人権を大切にする国アメリカ」を最後まで信じ、アメリカの正義を導き出したのですから、真の愛国者だったように思えます。

 

彼は、1998年にクリントン大統領から「大統領自由勲章」(市民では最高位)を受賞していますが、この時クリントン大統領は「我が国の正義を希求する長い歴史の中で、多くの魂のために戦った市民の名が輝いています。プレッシ―、ブラウン、パ―クス・・・。その栄光の人々の列に、今日、フレッド・コレマツという名が新たに刻まれたのです。」という言葉をコレマツに贈っています。

 

2010年、彼の済むカリフォルニア州は、コレマツの誕生日(1月30日)を「フレッド・コレマツの日」と制定し、憲法で保障された市民の自由を守り続ける重要性を州民に訴えています。

 

彼は、「何かおかしいと感じたら、声を上げることを恐れてはならない」という言葉を残していますが、「グサッ」と胸に突き刺さってくる言葉です。

今まで、日系二世の「フレッド・コレマツ」という名を知らなかった事が、少し恥ずかしく感じてしまいます。