堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

「生命の尊厳」

「生命の尊厳(SOL)」とは「すべての生命(人命)は等しく重要であり、安楽死や選択的人口妊娠中絶などによって無実の人間を殺すことは許されないという立場」です。

それに対して「生命の質(QOL)」とは「生命には質が存在し、一定の質を満たさない人命は終わらせてもよいという立場」のことで、「生命の尊厳」とは相反する考えです。

 

今日、母に会いに行ってきました。

母はアルツハイマー認知症で私の事もとうに分かりません。

車椅子に乗った母は反応も薄くなっており、私が話しかけても返事らしい返事は帰って来ませんし、そもそも私が誰なのかさえ分からないようです。

 

今日は眠かっただけなのかもしれませんが、認知症を患ってからもいつもニコニコ笑っていた母の事を思い出すと、少し辛くなったようで家内が泣いていました。

 

帰りの車の中で家内が「決してお母さんが死ねばいいと思っている訳ではないけれど、私があんな風になったら安楽死させて欲しいと思う。正気が残っている内に本人が署名をして、家族も同意したら安楽死させてくれる制度があったらいいのに」としみじみ言っていました。現実を考えると反対のしようがありません。私も同感です。

 

決してアルツハイマーだから安楽死してしまえばいいという簡単な話ではありません。命ほど尊いものは無いのですから!

 

ただ、自分の命は自分で決めたいというか、人間としての尊厳は最後まで持ち続けたいとどうしても思ってしまいます。(多くの生き物の中で人間だけが特別なものかというと自信はありませんが)

 

日本では植物状態になった時のみ安楽死を選んでも罪にならないようですが(色んな条件はあるようです)それ以外の安楽死は出来ない事になっています。

ヨーロッパのいくつかの国とアメリカのいくつかの州では安楽死が認められている所もあるようです。

 

そういった国々では交通事故の後遺症による苦痛ををネットで配信した末に安楽死が認められたというケース等もあるようです。

それらの国々で認知症による安楽死が認められているかどうかは分かりませんが、人としての尊厳という観点から見れば、認知症になる前の本人の意志が明確に確認できれば尊厳死を選べるようになっても良いのではないかと思います。

 

安楽死については多くの論文が書かれ、実際に議論もされています。でも人の死に方に関わり宗教や信条・感情が複雑に絡み合う問題ですので法的に一線を引くというのは難しく、論議が深まっていかないようです。かえって日本では「安楽死」の論議が避けられているような気もします。

 

今や三人に一人は認知症になると言われている時代、ましてや急速に進む高齢化社会、益々多くの人がこの問題に直面する事だけは確かです。

 

これからの医療行政を考える上でも、今一度真剣に検討しなければならない問題だと思います。

私に「その時」が来るまでに、何らかの制度が実現されているかどうかは分かりませんが、母との別れ際「又来るね」と笑顔で言った時に、お袋が少し笑ったように感じました。

悲しいかな、その「笑顔」が単純に喜べない複雑な気持ちになってしまいました。

 

やはり、「安楽死」に対する新たな制度は必要です!