堺市の変人

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「ムラビンスキー」の逸話

前回、指揮者「エフゲニ―・ムラヴィンスキー」に触れましたが、気になる逸話をご紹介したいと思います。

 

彼は、50年もの間、レニングラード・フィルの常任指揮者を務めていましたので、オーケストラは彼の細かな動きにも完璧に反応したことは容易に想像出来ますが、リハーサルの厳しさには定評があったようです。

来日時もリハーサル風景を見た日本の関係者に「あんなうまいオーケストラにここまでさせるとは」と言わしめた厳しさは語り草となっているようです。

 

しかし、私は音楽以外での彼の姿勢に頭が下がりました。

 

ソビエト共産党が、ソルジェ二―ツインへの弾劾決議文を求めた際、ショスタコ―ヴィチら多くの文化人が当局の強硬さに不満ながらも署名したのに対し、ムラヴィンスキーは、「彼の本は国内で発禁処分されていますので、私は読めません」と言って、署名をしなかったようです。

 

また、外国の楽器を購入する時も「なぜ母国の楽器を使わないのか」との政府からの質問に「良い音楽を演奏するには外国産でないとダメです」と平然と突っぱねたようです。

 

外国での講演で、レニングラード・フィルの団員が亡命騒ぎを起こした際、「君の楽団の団員が逃げたのは君の責任ではないのか」との政府からの詰問に「楽団から逃げたのでは無く、あなたの党から逃げたのですよ」ときっぱりと言い放ったという逸話もあったようです。

あくまで信念を貫いた稀有な存在であった事は間違いありません。

 

本来なら粛正といった事になるのでしょうが、なにしろソビエト連邦、いや世界を代表する大指揮者には、さすがに当局も手が出せなかったようです。

 

東側の指揮者ですが、ヨーロッパを初め日本でも名指揮者として知られていました。

晩年心臓を患いソビエトでは治療不可能と言われた手術をウィーンで受けた時、その高額な治療費をウィーン楽友協会が全額負担をした事でも世界から尊敬されていた事が窺えます。

 

楽団員は大変だったでしょうが、これ程までに信念を貫き通した生きざまは、見事というより外ありません。