神と仏
神といえば「キリスト教」、仏は「仏教」といった感覚ですが内容は相当違うようです。
キリスト教は、「善」「悪」が、はっきりしていますので、まるで「0」と「1」のデジタルの世界のようです。
片やアナログ的な仏教は、「不二」という言葉があるように、「善」と「悪」が二分されていません。
親鸞の有名な言葉に「善人なほもちて往生を遂ぐ、況んや悪人をや」というのがありますが、悪人でも救われるという考えは、日本の「大乗仏教」ならではの考えのようです。
中世の十字軍は、キリスト教諸国が聖地エルサレムをイスラム諸国から奪回することを目的としたもののようですが、イスラム教とキリスト教が共存するのではなく敵対しているようにも思えます。
中世に日本を訪れた宣教師も、異教徒を邪宗からキリスト教に改宗させるといった側面があったようです。
それに引き換え、日本の仏教はおおらかです。一軒の家に神だなと仏壇が共存する事は良くある事です。加えて日本人の性格的なものかも知れませんが、他宗教にたいして寛容な所が多々見受けられます。
正月は神社に参り、クリスマスはケーキを買い、最近ではハロウィンだといって大騒ぎする。こんな国民は世界にも類が無いような気がします。
これも、大乗仏教の寛容性ゆえの現象のようです。
最近は、多発するテロの影響も有り、「反イスラム」という感情が高まって来ているようにも思えますが、このような時にこそ日本の大乗仏教の寛容を見直す必要があるような気がします。
「善」と「悪」を明確に分けるのではなく、それぞれを尊重するといった考えが、今、正に必要とされています。
「白人至上主義」「反移民」「反イスラム」・・・
世界の平和に反するような思想の台頭は決して許されない事です。
心配なのは、世界のリーダーが、ややもするとそれらの偏った考え方に毅然とした態度を示さず、反対に自らの体制を守る為、偏った思想を利用しようという行動が見受けられる事です。
ボーダレスの時代、一国だけが平和と繁栄を享受すると入った事はあり得ません!
世界の全ての国や人々の繁栄を唱えるリーダーが出て来て欲しいものです。