堺市の変人

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益子焼の皿

栃木県の益子焼は、民芸運動を提唱した柳宗悦に賛同し行動を共にした濱田庄司の作陶により全国に知られ、今では民芸運動の象徴的な焼物となっています。

春と秋には「益子大陶器市」が開催され、大層賑わっていると聞きます。

 

私も陶磁器、特に陶器の素朴な風情には心を引かれます。美しさや技を競った一品物ではなく、銘が無く職人さんが実用のために大量に作った民芸品は価格も手頃です。高級品は概して派手ですが、あくまでも日常使いを旨としている民芸品は、どんな料理を盛っても料理が器に負ける事は無いようです。かえって料理を引き立ててくれる場合が多いようです。

 

目の前に、40年以上前に買った21㎝位の「益子焼の皿」があります。土が粗いためどうしても厚めになり重くなりますが味わいは最高です。勿論、この皿、銘も無く大量に作られた物ですが高級品に引けをとっていません。

いくら長く使っても飽きがこないというのはたいした物だと思います。

 

考えてみれば、今では何百万円もするような「高麗茶碗」も、昔の朝鮮の職人が大量に作った日用品です。雑器といっても過言ではありません。

そのような、一見価値の無いものに「美」を見出すという「侘び」「寂」のにも通ずる美意識は日本が世界に自慢できる事のような気がします。

 

ただ、高麗茶碗や昔の益子の皿をみて何時も感じる事は、現代の陶工がいくら頑張っても作る事が出来ないという疑問です。

良い土が無くなっているのか?陶工の心構えに違いがあるのか?何が原因なのか定かでは有りませんが、古い陶器の方が見ていて深みを感じる事が多いです。

 

家に有る雑器、それぞれに愛着がありますので、少し落ち着いたら「金継ぎ」でも習って補修しながら長く使っていこうと思っています。