「サアァッ」という清涼感?
昔読んだ本で、内容はほとんど覚えていないのに、一文だけが頭に残っているというのが有ります。
「古寺巡礼(和辻哲郎)」は大正八年に書かれた物ですが、何故か一文だけが記憶に残っています。
この書籍は、大正七年、和辻が二十代の終わりに訪れた奈良の寺々の印象を若き情熱を込めて「旅行記」風に纏めたものですので、おおよそ百年前の本と言う事になります。
和辻自身、若さにまかせて書きあげた本である事から、書き直したい希望もあったようです。
しかし、私には「若さ」が、この書籍に「みずみずしさ!」を与えているような気がしてなりません!
二十二章の冒頭、法隆寺を訪れた時の印象を和辻は「あの中門の内側へ歩み入って、金堂と塔と歩廊とを一目にながめた瞬間に、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものをかんじます。・・・」という一文が頭に残っています。
このような文章・感情表現は、「若さと情熱」が無ければ到底書けないもののような気がします。
後年の和辻から見れば稚拙と感じる部分もあったようですが、若さが稚拙さを十二分に補っており百年の歳月を越えても読む者を引き付ける魅力を持っています。
同じように、「宮本武蔵(吉川英治)」も、最後の一文「波にまかせて、泳ぎ上手に、雑子(ざこ)は歌い稚魚(ちぎょ)は踊る、けれど誰が知ろう、百尺下の水のこころを、水の深さを」という一文が深く頭に残っています。
さすがに、どちらも名著だけの事は有ると感心させられます。