ポピュリズムは世界の趨勢?
最近良く「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という言葉を耳にしますが、日本ではあまり良い意味には受け取られていないようです。
古代ローマでは「ローマ市民権を持つ者」といった意味があったようですが古くから大衆(民衆)運動が根強く脈々と流れているのが感じ取れます。
米国や欧州の多くの国で台頭している此のこの運動は「いたずらに民衆の人気取りに終始する」といった危険性を孕んでいますが、本来、国が目指すべき道と大衆の意思をいかにマッチングさせるかが大きな課題であるようです。
「ポピュリズム」そのものは、多くに人々の意見を反映させるという意味では、当然の事のようにも思えますし、民主主義の原点で有る様な気がします。
しかし、今日、何故「ポピュリズム」が台頭してきたかを考えますと、少し考えさせられます。
最近良く話題に出て来る「貧富の格差」が今日「ポピュリズム」台頭の要因の一つになっているような気がします。世界をみると、上位62人と下位36億人の資産が、それぞれ1兆7600億ドル(206兆円)と同額だといわれています。世界では今でも多くの人が餓死していますが、片方では食料の半分以上(日本の場合)を破棄しているのを考えても富が一部に集中している事が窺えます。(日本では政府発表で年間1900万トン、民間調査では2700万トンの食糧が廃棄されています。これは、世界の7000万人が1年間食べていける量といった試算もあります。)
国単位で考えてみましても、国の重要な役割である「富の再配分」が十分に機能していないように思えます。「格差」が時代と共により広がっているようにも思えてなりません。
万民の為の政治が、ややもすれば「富裕層」「特権層」の利益を守っているようでは、「ポピュリズム」の台頭やむなしといった感じを受けます。
アメリカでは、貧困層に多く配分されていた税金を取り戻そうと富裕層(年収約1000万円以上)だけの市が出来ているようですが、税金が貧困層に多く配分されるのは当然のです。そのうち街の周りに城壁でも出来るのでは?
「ポピュリズム」を生みだしたのは、今日までの誤った政策あったような気がしてなりません。
日本でも、毎日一生懸命働いても、子供に十分な食事すら与えられないといった貧困問題がありますが、政治家は大企業や献金者の御機嫌ばかりとらずに、しっかりと貧困問題に目を向けて欲しいものです。