堺市の変人

堺市から情報を発信する変人親父です

ほほえみの仏

 以前、京都に行った時に宿屋のカウンターに置いてあった「広隆寺」のパンフレットが目に付き、何も予定が無かったので訪ねてみる事にしました。(無信心者ですから暇潰しといった程度でした。)

 「有名な弥勒菩薩像」「国宝第1号?」という位の前知識で行ったのですが、実際に「宝冠弥勒像」の前まで来ると足が止まってしまいました。なかなか言葉で表現するのは難しいですが、あえて言うなら「圧倒的な慈悲の微笑み」かな? 自然と頭が下がり、涙が出てきてしまいます。立ち去っては何度も仏像の前に戻って来てしまいます。

 よく「モナリザ」の微笑は世界一とか言われますが、私は此処(広隆寺)や中宮寺弥勒菩薩像の微笑み(アルカイク・スマイル)の方が「慈悲」や「優しさ」を強く感じます。「モナリザ」(実物は見た事はありません)の微笑を観た時、私の脳みそは、それを理解しようとガンバリます。しかし、日本の仏教芸術の頂点に立つこれらの仏像の微笑みは、何も考える事無くストレートに心に伝わってくるようです。京都の蟹萬寺の釈迦如来像を観た時も、同じような感じを持ちました。(行動範囲が狭くてゴメンなさい。)

 抑制された微笑みについては、フランス人は「モナリザ」が世界一と自慢し、エジプト人は「スフィンクス」が一番だと譲られないでしょう!私も同じように日本の仏像が世界一だと思っています。

 私が不思議に思うことは、広隆寺の菩薩像は当初、金箔が貼られた「金ピカ」の仏像でした。極楽浄土を現生に具現すべく寺院も建立当時は、極彩色・金ピカだったと聞いた事があります。しかし、「金ピカ」の仏像と1,000年以上の歳月を経、金箔が落ちた仏像が並んでいるのを想像したら、やはり、現在目にする仏像の方が断然深みがある様な気がします。(どちらも良いとは言えない罰あたりです。)

 それにしても、飛鳥時代と比べると問題にならない位、科学技術は発達している現代ですが、逆立ちしても昔の傑作と言われる仏像が作れないのは不思議なものです。曜変天目茶碗しかりと言ったところです。

 私もだいぶ経年変化を起こしていますが、上手くいっているか心配です。「人の一生なんかは一瞬だから経年変化を心配する必要無し!」と菩薩が怒っています。