「殿、利息でござる」
2016年に公開された「殿、利息でござる」、題名からコミカルで面白いかなと軽い気持ちで見始めました。
仙台藩の吉岡宿で、藩にお金を貸し付け、その利息で村の窮地を救った町人達の記録「国恩記」を題材とした小説「穀田屋十三郎」(磯田道史著)を原作とした実話という事ですが、お寺の坊主が事の顛末を記録として書き残していたおかげで当地では今でも語り草となっているようです。
まず、キャストが良いです。
特に主役の阿部サダヲの演技が光っていました。
不器用なようで一徹、決めたことに真っすぐに向かって行く主人公を巧みに演じていました。この映画を見て、阿部サダヲは「目」で演技が出来る俳優だと感じ入りました。
バイプレヤ―の松田龍平(父松田優作)の憎さ120%の役人役、この映画で只一人の憎まれ役ですが、とことん冷徹な演技は憎々しい限りです!
しかし、この憎々しさがこの映画全体を引き締めています。
物語の山場では、フッと山本周五郎の「さぶ」や「おたふく」といった町人物と共通する人情の温かさを感じました。
まだ、この世も捨てたものでは無いと思わせてくれます。
「穀田屋十三郎」は「無私の日本人」の中の一遍らしいですが、東日本放送が開局40周年記念事業の一環として映画化、東日本大震災から5年という事も有り、観客動員数が100万人、興行収入が13億円を越える隠れた名作といった感があります。
藩主、伊達重村役には、仙台出身という事も有りフィギヤスケートの羽生結弦選手がワンポイントで出演しているのも一興です。
早速、「無私の日本人」読むべしと心に決めたオッサンです。
「落陽」
NHKの「ザ・カバーズ」で吉田拓郎が歌う「落陽」が取り上げられていました。
確か、キャスターがリリー・フランキ―、ゲストが竹原ピストルだったと思います。
「落陽」は、当時の若者の心情を上手く表現している岡本おさみが作詞した拓郎の代表作です。
私も若い頃に良く聞きましたが、その頃はそんなに共感した覚えがありません。
しかし、じっくり歌詞を読み返すと「ウーン」と歌の心が伝わって来て、改めて良い歌だなと思ってしまいました。
この曲が作られた1973年当時は、学生運動が盛んな時代ですが、「反骨精神」や「真っすぐな正義感」が代名詞のような若者の気持ちが「この国と来たら、賭けるものなどないさ」という歌詞に表れています。
番組の中で「みやげにもらったサイコロふたつ」というフレーズに、驚きの声が挙がっていました。
フェリーの中でのサイコロ博打、チンチロリンはサイコロ3個と茶碗さえ有れば出来る博打です。
「サイコロふたつ」というのは、俺のようになるなという「じいさん」からの博打に溺れるなという若者へのメッセージのようです。
「俺だったら絶対に知ったかぶりをして、しつこく歌詞を書く」とフランキ―とピストルが、「サイコロふたつ」の意味を歌詞に入れなかった事に驚きと称賛を贈っていました。
私も、知ったかぶりをして、しつこい歌詞を書いてしまう事請け合いです。
時代を切り取ったような拓郎の歌の凄さを改めて感じました。
今回は、ピストルがカバーしましたが、ピストルの歌も良かったです。
今では、竹原ピストルのCDが2~3枚、棚に乗っています。
最近は、良い意味での「反骨精神」が無くなって来ているような気がします。
知らぬ間に時流に流されている私ですが、もう一度、若者の心意気を取り戻したいと思わせる名曲です。
危ない「ダブルスタンダード」
6日、アメリカのトランプ大統領は、中国がアメリカ企業の知的財産を侵害しているとして、中国からの輸入品(3.8兆円相当)に対して25%の関税をかける制裁措置を発動しました。
これに対して中国も、報復に出る方針で米中の摩擦がエスカレートしていく懸念があります。
中国は、「関税のこん棒を振り回す貿易覇権主義は時代に逆行する」と米国に対する批判を強めているようです。
これを聞いて私は、今までと違い中国の言い分に理が有るような気がしてなりませんでした。
トランプ大統領はパリ協定(気候変動枠組条約)やTPP(環太平洋パートナーシップ)、イラン核合意といった国際的な枠組みからの離脱を続けて表明しています。
加えて世界貿易機関(WTO)からの離脱も示唆し、米国独自の政策をとろうとしています。
特に、多国間協議よりも二国間協議を重視するという米国の姿勢は、時代に逆行しているようにも思えます。
二国間だけの協議では、国力の弱い国がどうしても不利になります。結果的にパワーに押し切られ、米国の有利な協定となる不安が拭い切れません。
今日までの歴史は、世界平和に向け、より広い(より多くの国)場での共通のルールを求め協議を模索して来たと言っても過言ではありません。
国際連合(未だ不完全ですが)なんかは、その最たる例といえます。
世界基準の協定が無くなり、二国間協定が増えるというのは、正に「ダブルスタンダード」の最たるものです。
「歴史が後戻りしている」、そんな不安を覚えてしまいます。
これら全てが、トランプ大統領の中間選挙対策、人気取りだとしたら余りにも失うものが多いような気がしてなりません。
歴史を紐とくと、「世界のスタンダード」を求め、どれだけ多くの人が命をかけて来たことでしょうか!
一国の国益のために、どれだけ多くの人が命を落とした事でしょうか!
「10個」と「1(ワン)カートン」
今日、煙草を買いに近くのコンビニに寄りました。
いつもの如く吸っている煙草の箱を見せて「この煙草10個下さい」
店員さんが並んでいる煙草から銘柄を見付け個数を数えています。(後から考えると、ここから変です。普通は10個入りカートンの在庫を確認されるのがパターンです。)
小出しの煙草が10個有りましたので袋に入れて頂き代金を払い終了、此処までは良かったのですが、iいつも10個買えばライターがおまけで付いてきますので、「ライターは付かないのですか?」と尋ねたところ店員さんが困った顔をされました。
意味が分からず「いつも10個買うとライターが付いてくるのですが」と再度お願いすると、ようやくライターが1個袋に入りました。
店員さん曰く、「ライターはワンカートン買って頂いたお客様にお渡ししています。」と言いながらのおまけでした。
ひょっとして、「ワンカートン買って頂いたお客様にライター1個お渡しするように」と言われているのを忠実に守っているのかな?
私は、オイルライター派ですので100円ライターは使っていませんが、行き付けのコーヒーショップにあげると喜ばれますので、おまけを貰うようにしています。
「10個」という私の言い方が悪いのかもしれませんが、10個=ワンカートンと少し機転を効かせて貰いたいような気がします。
しかし、私も人には言えません。夕方、家内から炭酸水と水を買って来るよう頼まれて、2ℓの天然水と1ℓの炭酸水を買って帰ったのですが、開口一番「500ccの炭酸水2本と水を1本頼んだのに、これでは冷蔵庫に入らないし、紫蘇シロップを小分けにして保存したいから500ccのペットボトルが欲しいって言ったのに」「私の言っている事を全然聞いていないのが良く分かった」!
「有難う」という言葉と全く違う思いがけない言葉が返ってきましたが、言葉の行き違いは日常にあるようです。
どちらにしても、これから煙草を買う時には「1(ワン)カートン」と言った方が無難なようです。
ちょっとしたブームの「日本食」
今、美食の都ニューヨークでは、ちょっとオシャレな食事と言えば本格的な和食のお店に行くのが流行っていると聞きました。
フレンチでもイタリアンでもなく「和食」です。
今まさに世界的に和食ブームと言って過言では無いような気がします。
ハワイに「丸亀製麺」ができた時(何年前か忘れました)たまたま出来て間もない頃にワイキキに行く事がありました。
時間が無くてバスで店の前を通っただけでしたが、その時にはお客さんの数もまばらで閑散としていました。(空いている時間帯だったのかもしれませんが?)
和食が食べたくなった時の心強い味方が出来たような気がして、「どうかつぶれませんように」と思っていました。
半年ほど前に家内の職場の人が初めてハワイに行く時、家内にハワイの情報を聞いてきたようです。このレストランはこれが美味しい等々話している時に「もし和食が食べたくなったら丸亀製麺に行ったらいいわ」と場所を教えたそうです。
以外にも帰ってきた彼から「丸亀製麺、行列が出来ていてとてもじゃないけど並ぶ気になれませんでした」と言われたそうです。
しかも、並んでいるのは日本人ではなく外国人ばかりだったそうです。(ハワイで外国人と言うのもおかしいですね・・・)
20年以上前にハワイに初めて行った時には、日本の定食屋さん的なお店が有りました。しかし、店に入って食べているのは日本人又は日系人とみられる人ばかりでした。
味は高級とまではいきませんが、普通に食べて「美味しい」と思える味だったように思います。
しかし、美味しいと思える和食の店が次に訪れた時には無くなってなくなっている。
そういうのが何度かあったので、「やはり和食の店はアメリカではあまり流行らないのかなぁ」と思っていました。
しかし今は日本人ではない人たちが和食をもてはやし始めています。
昨今の日本旅行ブームと本格的な日本料理の店が海外進出することによって「和食」を食べる機会が多くなったのが和食ブームのきっかけなのでしょう。
なんにせよ、素材の味を大切にする和食は世界に稀な料理だと思います。
2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された「日本料理」ですが、一時のブームだけに終わらず、世界に定着して欲しいものです。
塩を付けただけの「魚の塩焼き」!
豪華なフランス料理や中華料理よりも食欲をそそります。
犬の方が優雅?
先日の台風前は大変寝苦しい夜でした。
大気が不安定で風も強く、突然の雷や雨に注意という予報「これでは窓を開けて寝る訳にはいかない」と窓を閉め切って扇風機でしのごうとした矢先、開け放ったリビングから「ハァッ・ハァッ・ハァッ」と小さいけれど早い息遣いが聞こえてきます。
家内「預かり犬が暑くて息遣いが荒くなってる」と心配しはじめ、「歳やから暑さが堪えるねんなぁ」と気が気ではない様子です。
「犬は皮膚呼吸ができないから、暑い時は口で体温調整するから大丈夫」と私が宥めるも「いや・・でも歳やから・・」と気になって眠れないようです。
私は夏場でも出来るだけクーラーをつけずに寝たいほうです。
私は寒いのは苦手ですが、家内は暑がりでクーラーは平気です。(しっかり肉襦袢を纏っています)
まだ夏本番でもないのにクーラーなんか体が冷えてしまいます。
しかし、犬の方が大事な家内は「寒かったら布団掛けたら、犬の毛皮を剥ぐわけにはいかへんから」と強引にクーラーをつけました。
クーラーをつけたとたんに犬の息遣いは消え、バリケンの中を見ると気持ち良さそうに眠っている預かり犬、それを見届けた家内もやっと眠りにつきました。
しかし私は寒くてタオルケット一枚では到底眠れず、厚い目の布団をタオルケットの上にかけてやっと眠ることが出来ました。
朝起きると、いつも私が座っている長座布団の上には我が家の凡犬が脚を放り出して無防備な姿勢で眠りこけていました。クーラーの風が当たる一番気持ちの良い場所にです。
私たちが起きてきても凡犬は起き上がる気配さえ見せません。姿勢はそのままで眼だけが動いています。
「こいつ、王様みたいな生活してるな」と思わず愚痴ってしまいました。
雌犬ですから「女王様」といったところですが、凡犬や預り犬を見ていると時々羨ましくなる時があります。
犬や猫の方が心配事もなく優雅な生活をしているようです。
「文明の衰退」
今日の新聞に「米中、エリート層との闘い」という興味ある記事が掲載されていました。
英ファイナンシャル・タイムズの記事を掲載しているものですが、米国と中国の将来の繁栄と安定にとって最も重要な問題はエリート富裕層を上手く抑えられるのはどちらか、という問題を提起しています。
故マンサー・オルソン(米経済学者)の著書「国家興亡論」(1982年)での「文明は富を握る層が政治に影響力を持つようになると衰退に向かう」という言葉を引用していますが、先進国・経済大国と言われる国々の共通の問題が36年を経て現実の問題となっているような気がします。
中国では上位1%の富裕層が富の約30%、米国では同じく1%が富の42%を握っていると言われています。
中国では腐敗撲滅運動が経済発展に必要とされているようですが、米国にはエリート層が握る権力に歯止めをかけようとする兆しは未だ見えないようです。
どちらにしても、富と権力が一緒になれば「文明の衰退」、人間の欲をどのようにコントロールするかがポイントのようです。
昔も今も変わらぬ人類の永遠の課題を突き付けられています。
「民主主義は最悪の形態らしい。ただし、これまで試された全ての形態を別にして」(チャーチル)
人類が作った最高のシステムと思われている「民主主義」ですが、実は常にメンテナンスが必要な未完のシステムのような気がします。
政治(理想)が富の上に立ち、富をコントロールするという真の「民主主義」が忘れられるような事になれば、間違い無く「文明の衰退」が現実のものになってしまいます。
日本も同じ?
国民ひとり一人が、「理想」と「正義」の炎を燃やし続けて行く事が求められているのは確かなようです。