映画「ジュリアス・シーザー」
1953年のハリウッド映画「ジュリアス・シーザー」は、好みの分かれる映画です。
CGも戦闘シーンもありません。「ベン・ハ―」や「十戒」なんかのスぺクタル巨編とは少し趣が違うようです。
私の第一印象は、「まるで舞台を観ているよう」といった印象です。
映画そのものの評価は「いまいち」といった程度のようですが、こんな映画は今では製作出来ない事だけは確かです。
派手さ無し、白黒で地味にも感じますがルイス・カルハーン(シ―ザ―)、マーロン・ブランド(アントニ―)、ジェームス・メイソン(ブルータス)の演技は舞台俳優を観ているように感じました。(マーロン・ブランドが若い!)
シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」を映画化したものですが、一つひとつの台詞に、現代映画には無い「深み?」といったものがあります。
原作がシェイクスピアというのが頷けます。
機会があれば正統派の奇をてらわないシェークスピアの舞台を観てみたいと改めて感じました。
「波止場」や「ゴットファーザー」のマーロン・ブランド、「スタア誕生」・「砂漠の鬼将軍」のジェームズ・メイソンは、それ程好みの俳優ではありませんでしたが、この映画を観て「さすが」名優という思いを新たにしました。
地味で面白味の無い映画!
でも、もう一度ゆっくり観てみたいと思わせる映画です。
「50分の壁」
ゴールデンウィーク明けからスタートしたジョギ、なかなかタイムが伸びません!
最初の頃は、コースを探しながら走っていましたので1時間余りかかっていました。
どの位の距離か分からないまま今日まで走っていましたが、ネットで調べ約8キロというのが分かりました。
ということは、時速8キロ強のペースで走っていたようです。
泉北ニュータウンの緑道(散歩道)を車の往来を気にせずに緑の木々の中を走るのは気持ちの良いものです。
とはいっても、1年間のブランクを経てスタートしたばかりですので「ゼイ ゼイ」言いながら走っています。今のところ景色を楽しむ余裕はあまり有りません。
ようやく最後まで歩かずに走り通せるようになった段階です。
昨日は絶不調!何時もはジョギング前に大小を済ませてからスタートするのですが、昨日は大を忘れました。このような時に限ってもようしてきます。
結局、走り続ければ「ヤバい」と思い、5キロ位走った所で刺激を与えないように歩きました。
今日は大小も済ませ万全の体制でスタートしましたが、それでも55分かかりました。
そんなにタイムが伸びていません!
私にとっては、8キロ50分の壁は厚いようです。
5月中に50分達成を目指していましたが、無理をしないで6月に変更!
「もう歳やから無理しなや」と家内に何時も言われていますが、まだまだ遅いペースなら大丈夫です。若い者に負けません!
しかし、次回からは「健康保険証」はバックに入れておこうと、今日走りながら考えていたオッサンです。
どっちが我儘?
猫は一般的に雄猫のほうが甘えたが多いと聞きました。(人間も?)
「ニャー ニャー」とよく鳴く猫も甘えたです。
成猫同士では「ニャー ニャー」という声は出さないそうです.
子猫が親に甘える時に「ニャー」と可愛い声を出しますが、一般的には子猫特有の仕草のようです。ですから成猫同士(特に野良)では「ニャー」の挨拶は無いようです。
家猫は「オヤツが欲しい」や「撫でて欲しい」と飼主(親代わり)に要求するときには甘えた声を出します。(男のくせに良く喋る猫です)
さて、我が家の凡猫もご多分に漏れず甘えたです。
家内が家に居るとくっついて離れません!
家内が風呂に入れば、脱衣所で丸くなって待っています。
椅子に座れば必ず家内の膝の上に陣取ります。
そして、夜は家内の布団の足元で丸くなって寝ます。
先日、足元に猫が居ると寝返りを打つ時に気を使うので、ゆっくり寝たかった家内は足元で寝ている猫を「そぉっ」と布団から押し出したようです。
しかし、当然のことながら猫はまた舞い戻ってきます。
それを三回繰り返した後、四回目に足で「そぉっ」と猫を押した時、猫も腹が立ったのか家内の足に思い切り噛みついたようです。
「イタッ!!」と家内が声を上げると、「もういいわ!!」と言わんばかりにそっぽを向いて猫が部屋から出ていきました。
反省もせずに、なんと我儘な態度!!
それでも懲りずに次の夜にはまた家内の足元へ・・・
そして押し出されて噛みつかれる家内・・・
「毎日飽きもせずようやるなぁ」と思って見ていたのですが、家内曰く「寒い時は猫が布団に入ってくれると湯たんぽみたいで重宝するんやけど、もう暑いしなぁ」とご都合主義の極みです。
猫を利用するだけ利用してなんと勝手な!!
猫と家内とどちらのほうが我儘なのかわかりません?
まぁ、似た者同士、ニャンコに甘えられて目を細めている家内ですが、私には理解しがたい一人と一匹の関係です。
まるで病気です!
ちょっといい「本」
東洋経済新聞社から「ことばのご馳走」という本が出版されていました。
1991年に発行されていますので既に30年近く経ちます。
今でもPHP研究所から新装版が950円で発売されていますので驚きです。
200ページ余りの親書版ですが、中には人を元気づけ職場を明るくするような218の話が紹介されています。一つの話が1ページ位ですから読み易いです。
筆者の金平敬之助氏は、大手民間保険会社の営業畑を経験されていますが、文章が軽妙で大変読み易かった記憶があります。
一文を読んで共感したり教えられたりといった具合で、「アッ」という間に読み終えました。
今でも心に残っているのは、3話の「天眼鏡の話」です。
ある支社の新商品の勉強会に参加した。
資料が配られた。字が小さかった。
みんなぶつぶつ不平を言った。
一番前に70歳を越えた女性職員がいた。「さぞ、見えにくいだろう」と同情した。
本人は一言も文句を言わずに、黙って天眼鏡を取り出した。
「ベスト20位には入る優積者です」と、あとで支社長から聞いた。
何を事さらといった話ですが、30年を経た今でも妙に心に残っています。
ややもすると、「不平」や「文句」が先に立つ事が多い私ですが、不平も言わず「黙って天眼鏡」には返す言葉がありません。
「あっ そうか」「参ったな」の連続で自己嫌悪におちいる感もありますが、読んで損の無い本です。
リヒテルの「ピアノ協奏曲ニ番」
クラシックピアノと言えば、マルタ・アルゲリッチ、ウィルヘルム・バックハウスなんかが私の好みです。
アルゲリッチの天才を想わせる「ハッ」させられる演奏は最高です。(若い頃の演奏ですが)
ショパンのピアノ協奏曲一番なんかは驚いたり泣けて来たり忙しい限りです。
バックハウスの「いぶし銀」の演奏は、驚きといったものはありませんが、聴き終った後に何の不足も無く安心して聴く事ができます。
ベートーベンのピアノ協奏曲四番、出だしの心地よさは比類ないものです。
天才肌のアルゲリッチ、努力家のバックハウスと個性は違いますが、今のピアニストが再現し得ない演奏は歴史に残る名演のような気がします。
今、聴いているのはスヴャトスラフ・リヒテル、実はそんなに好きなピアニストではありません。(あくまで好みですが)
パワーとテクニックでグングン行くタイプのように感じ好みではありませんが、このラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」は別格です。(1959年録音)
オーケストラとピアノが一体となっています。ピアノがオーケストラの一部でありオーケストラがピアノの一部のような感覚にさせてくれます。
リヒテルの粗野とも思えるピアノの音が、此処ではパワーとなり迫力となって押し寄せてきます。
世界的なピアニストのグルダが「これは露出趣味と知性の混合が稀に見る成功をおさめた例で私は到底およびません。この事を私は喜んで認めます。リヒテルが激しさとほとばしる流れによって表現しているものは実にすばらしいと思います。」と称賛しているように、神がその時と人に与えた類稀な演奏といった思いがします。
世界的な名ピアニストでも歴史に残る演奏はめったに出来るものではありません。
指揮者ヴィスロツキ、ワルシャワ・フィルといったコンビですが、同じCDに納められているカラヤン指揮、ウィーン交響楽団のチャイコフスキ―のピアノ協奏曲第一番と聴き比べても、この演奏の凄さが際立っています。
チャイコフスキーも決して悪くは有りませんが、リヒテルのラフマニノフには人智の及ばない何かが働いているような気がしてなりません。
リヒテルは決して好きなピアニストではありません。
しかし、この演奏に限っては脱帽の限りです!
「人口問題」は政治の責任!
ちょっと気になる記事が日本経済新聞に掲載されていました。
5月13日の記事ですが、タイトルの「清和会がつなぐ人口問題」の中に、国際人口問題議員懇談会の名誉会長、福田康夫元首相が4月の講演で「人口が減っても経済は成長するなんて夢のようなことを言っている人もいるが、もう少し現実的に考えた方がいい」と訴えると共に「国会で議論して欲しいが全くない。これでは日本の将来は暗い」と、厳しい指摘を行っています。
今、「森友学園問題」「加計学園問題」がテレビや新聞を賑わしていますが、聞いていて何か空しい思いに駆られます。
政府がいくら良い制度を作っても、公平な運用がされないようでは全く意味をなしません。
国民の政府に対する信用が失墜してしまう大問題ですので、徹底的に真実を追求していって欲しいものです。
ただ、森友・加計問題に限らず、「北朝鮮」や「憲法改正」等の重要な事項が山積していますので、「今、こんな事だけやっていても良いのかな?」と少し不安な気持ちになりました。
一般の法案審議が遅れるのが気になって仕方がありません。
私が早急に取り組む必要性を感じるのは「人口減少問題」です。
この問題の難しい所は、他の問題同様に多くの利害関係が絡んでくる事に加えて、取り組みには10年単位の年数を必要とする事です。
今、スタートしても1~2年で結果が出て来るような簡単な問題ではありません。
憲法改正問題と違い「人口問題」は、対策が遅れると全ての国民に大きな犠牲を強いる事が確実な大問題です。
ある意味では「憲法改正」よりも国民生活に大きく関わる問題であると思っています。
コンパクトシティ―等の住宅の集約策も強制的に移転なんかは出来ません。
水道やごみ収集料金の変更や税制などの総合的な対策をとって徐々に住居を集約するよう誘導していくには10年単位の期間が必要です。
人口減少のスピードを考えると今から手を打つ必要があります。
福田元首相は「将来が不安なのは指針がないからだ。政府が考えて官僚に指示しなくてはいけない。・・・すべて政治家の責任だ」と訴えています。
政治家は、支持者へのリップサービスだけでなく、日本の将来を真剣に見据えた論議をしてもらいたいものです。
時間がありません!
時代に遅れ続ける老舗
帆布のカバンで有名な「一澤帆布」、100年続く老舗でご存じの方も多いと思います。
お家騒動もありブランドが無くなる?と一時心配されたようですが、今では「一澤信三郎帆布」として変わらぬ耐久性と帆布を活かしたシンプルなデザインに加え、色もカラフルになり昔と変わらぬ根強い人気を保っています。
今では、海外からの観光客がわざわざ足を運ぶ程、知名度が上がっているようです。
10年、20年、30年と修理しながら使い続けられる帆布のカバンは、ちょっと他には無いように思えます。
実は「一澤信三郎帆布」、経営方針が大変「時代遅れ!」、定年無し、勤務時間も職人の都合に合わせる、店は一店舗のみ、電話での注文は受けるがネット販売なし、テンポを増やす計画は全く無し・・・
何から何まで流行りのビジネスモデルと正反対です。
しかし、アメリカのビジネススクールの学生たちが勉強に訪れるという一風変わったお店です。
ビジネススクールの学生から「ビジネスを拡大させる予定は無いのですか?例えばネット販売や海外展開は?」という質問に、信三郎は「全く考えていない、拡大したら流通経費なんかが掛かって良いものが作れなくなる」ときっぱり言い切っていたのには驚きました。
ビジネススクールの教授は「拡大しなくても成功出来る」「時代遅れと時代の先を行っている両面がある」「まさに永遠のビジネスです」と感想を述べていますが、利益率や額を追い求めるアメリカ典型的なビジネスモデルを学ぶ学生に違う考え方があるという事を知って欲しかったのでしょう。
今の世の中、お金を増やす事だけが優先される風潮がありますが、真に良い物を作るという新年を持ったお店が日本に有った事が誇らしい気持ちになりました。
テレビを観ていた家内が「京都に行ったら一つ買ってもいいな」を感心していました。
私も一つ買って貰えるかな?